ドストエフスキー『白痴』の一場面

ドストエフスキー『白痴』の一場面

――死刑執行を受ける人物の、その執行五分前の心の中の記述――

 

<引用、ここから> 

 ・・・・・いよいよ残りは五分間ばかり、それ以上生命はないということになったわけです。この五分間というものが彼にとっては終わりのない時間で、ばく大な富のように思えたと、彼は言っていました。この五分間に、この期に及んでいまさら最後の瞬間についてなにも思いめぐらすこともないほどの、それほど多くの豊かな人生を送れるような気がしたのです。そこで彼はいろいろな処置を講じました。
 
 つまり友達と別れを惜しむために時間をはかりました。それに二分間ばかりを当てました。それからさらに二分間を、一生の思い出に自分自身のことを考えるために当てました。それからその残りをこの世の名残りにあたりをながめまわすために当てたのです。 

 彼はほかならぬこの三つの処置を講じたことを、またこのとおりに時間をふり当てたことをとてもよく記憶していました。彼は二十七歳を一期として、健康な、力強いからだを持ったまま死んでいこうとしているのでした。友達と別れを惜しみながら、そのうちの一人にかなりこの場にふさわしくない、のんびりとした質問をして、その返事に非常な興味を持ちさえしたことを、彼は覚えていました。 

 友達に別れを告げるとやがて、自分自身のことを考えるために当てておいた、例の二分間がやってきました。なにを考えようかはあらかじめ彼は心得ていました。いま自分はこうして存在し生きている、だが三分後にはもうなにかしらに、誰かしら、あるいは何物かしらになってしまうのだ―――してみるといったい何者になるのだろう? いったいこれはどうしてこんなことになってしまうのだろうかということを、できるだけ早く、できるだけ明瞭に説明をつけたかったのでした。いったい、どこへ行ってしまうのだろう? ただもうこんなことをこの二分の間に解決をつけてしまおうと思ったのでした! 


 ほど遠からぬところに教会堂がありました。そして金をかぶせた屋根のある大伽藍の頂きが明るい太陽の光を受けてきらきらと輝いていました。その屋根とそこからきらきらと輝き出る光線とを恐ろしいほどしつっこくながめ続けたことを、彼は覚えていました。その光線から目を放すことができませんでした。この光線こそは彼の新しい宇宙であり、三分後にはどういう方法でかは知らないが、あの光線と一つのものになってしまうのだと彼には思われたのでした・・・。 

 いまにもやってくるこの新しいものの見当のつかない未知と、それに対する嫌悪の情とは恐ろしいものでした。しかしながら彼の申すところによると、つぎつぎに浮かび上がって頭を離れない、『もし死なないとしたらどうだろう!もしも生命が返ってきたら!―――― 

 それはなんという無限なのだろう! しかもそれがすっかり自分のものだとしたら! そうしたらおれはその一分一分を長い百年として、なに一つでも失わないようにし、その一分一分をきっかりと計算して、もうなに一つむだに費やすことのないようにするのだがなあ!』という想念ほど、そのとき彼にとって苦痛なものはなかったそうです。そしてこの想念がやがて恐ろしい憤懣の情に変わっていって、もう一刻も早く銃殺してもらいたいと望むようになったと言うのです・・・・・

<引用、ここまで>


<<引用文献>> 
・旺文社文庫『白痴(第一編)』 ドストエフスキー 著 小沼文彦 訳

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