「歌は時代を映す鏡」と言われますが、この『おんな船頭唄』は正にその典型のような一曲です。この歌で描かれている場面には、現代の感覚では分かりにくい表現がたくさんありますが、一方で、当時の暮らしや感情を生き生きと伝えてくれる、貴重な作品になっているとも言えます。
舞台になっているのは利根川水郷です。本稿では、その頃の地域事情も含め、この歌が描く世界を背景から掘り下げ、歌詞に込められた意味を読み解いてみたいと思います。
歌の主人公は、利根川の若い女船頭です。利根川流域の水郷のなかでも、中心地だったのが「潮来(いたこ)」でした。潮来は江戸時代から水運の要衝であり、奥州諸藩の物産を積んだ千石船が、荷を小舟に積み替える中継港として栄えました。
潮来は、寺社参拝(東国三社と呼ばれた香取神宮・鹿島神宮・息栖神社など)の拠点として賑わい、「木下茶船(きおろしちゃぶね)(*3)」の他、遊び場や遊廓も存在していました。
ここには『船女房』という稼業もあったようです。遠方から来た船が河岸に着くと、小舟にのって漕ぎ寄せ、船に上がって船の中の掃除や洗濯、綻びの繕いなどまでして、一夜を共に過ごす。翌朝は朝餉(あさげ)を作り、船中をきれいに整えてから船を下り、名残りを惜しんで別れていく。
『おんな船頭唄』の世界は、この船女房の姿とも重なります。(*1)
歌の主人公は、この利根川水郷(おそらくは潮来)で孤児(みなしご)として育った若い女船頭。歌詞の中では、かなわぬ恋に心を寄せる、彼女の想いが切なく綴られています。
歌詞3番の最後には、「今日もお前(お月さん)と つなぐ舟」とあることから、この女船頭が日頃漕いでいたのは、高瀬舟のような吃水の浅い小舟(川舟)だったと想像できます。その小舟で、日頃は小荷物を運び、ときには遊客を舟に乗せることもあったかもしれません。
歌詞の2番で「所詮(しょせん)かなわぬ えにしの恋が」とあるように、相手は行きずりの遊覧客。女船頭にとっては真剣でも、男にとっては一夜限りの恋にすぎなかったのでしょう。「濡れた水棹が 手に重い」という言葉に、報われぬ思いの重さがにじみます。
話は少し変わりますが、現代にも残る女船頭の姿として、私が最近目にした例を、挙げてみたいと思います。
数年前、倉敷市(美観地区)で高瀬舟に乗った女船頭が川下りする様子を見たことがあります。観光客向けの一種のショーのようなものではありましたが、定番の女船頭装束(赤頭巾に縞柄の木綿着物、足元には足袋・草履)を身に付け、その舟上から笛を吹きながら、観光客を楽しませていました。
ひと昔前、全国の川では多くの女船頭が働いていました。往時の利根川水郷でも同じように舟を繰り、こうした遊芸を通して、女船頭と遊客が心を通わせ、結ばれる恋もあったのではないか。ーーそんな想像が膨らみます。
この歌は昭和30年(1955)発売ですが、実は、歌の大ヒットを受けて翌年に映画化されています。小林桂三郎監督のもと、主人公の女船頭“白井あや子”を堀恭子が演じています。この映画では潮来で舟を操るあや子が、バス運転手の恋人と、遊覧船の機関士の間で板挟みになり、揺れ動く葛藤が描かれました。
ただし、映画では歌詞とは設定が異なり、あや子は孤児ではなく病弱な母親が登場するなど、かなりアレンジされています。また、時代背景も撮影当時の昭和30年頃を舞台にしています。
しかし、この歌詞の雰囲気からすると、本来は明治・大正期あるいはもっと古い時代の、水郷の情景を描いているのではないかと、私には思えるのです。
ところで、歌詞3番に出てくる<十三七つ>という、不思議な言い回しについては、リンク先での解説をはじめ、コメント欄でも多くの方がその意味について議論されています。
これは、十三+七=二十で、<月よわたしも 同じ齢>とは、この女性が二十歳で、月が十三夜の七つ時、ということのようです。七つ時とは、夕方の四時。月の上る頃で、十三夜は満月になる少し前の月です(*2)。
つまり、この女性は成熟した女性の一歩手前、二十歳の、うら若き女船頭ということになります。
この若き女船頭は、「所詮(しょせん)かなわぬ えにしの恋」を諦めざるをえない境遇にありました。よくある、「生まれた境遇の違いから成就し得なかった悲恋物語」ではあるものの、主人公の儚くも切ない心情が、この短いフレーズで深く表現されており、感情移入してしまいます。
歌詞で描かれている世界を想像しながら、哀愁ただようこのメロディを聴いていると、何故か【宿命】という言葉が頭に浮かんできました。
「運命」は努力や選択によってある程度変えられるものですが、【宿命】は生まれつき決まっていて、抗うことのできないものと解釈されます。
生まれつき決まっている運命で、個人の意志では変えられない、生まれた国や時代、親や家系など、生まれつきの環境や境遇を指します。
今では、宿命以外の運命の一部は、克服する手段もあり、克服できる可能性も高まってきていますが、ひと昔前、生まれ育った環境は、ことに女性にとっては、到底変えることができないものだったでしょう。
また、2番の歌詞に出てくる「縁(えにし)の恋」とは、偶然ではなく、必然的に巡り合う関係性を指します。すべてのものが互いに結びつき、支え合って存在するという「縁起」に由来する言葉だと思いますが、女船頭の恋が、もし本当に「縁の恋」であったのなら、1番の歌詞にある、「嬉しがらせて 泣かせて消えた」のようには、決してならなかったはずです。
孤児として育ち、恋を諦めざるを得ない境遇の彼女の人生は、まさに宿命に縛られたものだったのでしょう。だからこそ、その短い歌詞から切なさと哀愁が強く伝わってくるのです。
『おんな船頭唄』は、昭和30年(1955)に発売されましたが、当時歌謡界にデビューして間もない三橋美智也の、民謡で鍛えた張りのある高音が、非常に印象的で大ヒットしました。
女船頭という特殊な世界を描きながらも、人が避けられない宿命や、かなわぬ恋の哀しみを切実に響かせる――それが多くの人の心に残った理由だと思います。
この歌は、一見すると現代の私たちには少し遠い世界を語っているように見えます。 しかし、哀愁ただよう旋律に耳を傾けながら、この歌で描かれた女船頭の姿を思い描くと、時代を超えて共感できる、”人の哀しみ”が鮮やかに響いています。
時代を超えて普遍的な「かなわぬ恋の哀しみ」を感じさせる、この『おんな船頭唄』は昭和歌謡の中にあって、人々の心を揺さぶり続ける名曲だと思います。
<<参考音源>>
<<補足説明>>
*3 木下茶船(きおろしちゃぶね)
木下茶船とは、中世から近世にかけて、河川や港で茶や軽食などを販売する船のことです。特に、舟運が盛んな地域で、船上で営業する茶店のような役割を果たしていました。
<<参考引用資料>>
*1 夢野銀次さんのブログ「銀次のブログ」 ~水郷に流れる潮来節~
*2 PHP新書『美しい日本の言霊』藤原正彦 著
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