昭和36年(1961年)、仲宗根美樹さんの歌唱によって大ヒットした『川は流れる』。哀愁を帯びた旋律と、人生の儚さ(はかなさ)を静かに語るような歌詞は、多くの人々の心に深く残りました。
今回は、この歌詞に込められた情感や、その背景にある都市の風景とその成り立ち、さらに『方丈記』に通じる無常観までを辿りながら、昭和という時代とこの名曲との繋がりを見つめ直してみたいと思います。
『川は流れる』は、1961年にリリースされ、仲宗根美樹さんの実質的デビュー曲として多くの人々の共感を呼び、大ヒットを記録しました。都市に暮らす人々が抱える孤独感や喪失感を、情感豊かなメロディと詩で見事に表現した、昭和を代表する名曲のひとつです。
仲宗根美樹さんは「初の沖縄出身女性歌手」として売り出していましたが、両親は沖縄出身だったものの、本人(本名:國場勝子)は東京生まれでした。戦火を避け、家族が沖縄から東京に疎開した後に誕生した、という経緯があります。
さて、この曲の冒頭に登場する「病葉(わくらば)」という言葉は、非常に印象的なイメージを残します。この曲の旋律や歌詞全体からは、どこか晩秋のもの寂しさを感じさせますが、実は病葉(わくらば)は夏の季語です。
本来は、「青葉の季節に病気や虫害などで変色し、時期外れに朽ちて散った葉のこと」を指します。この違和感が、逆に「社会から外れてしまった存在」という、孤独や疎外感を象徴しているように感じられます。
この曲が流行したのは、高度経済成長の波が押し寄せ始めた頃です。生活は目まぐるしく変わり、人々の心はときにその変化に追いつけず、都市の中で孤独を抱える人々も少なくなかったはずです。
「病葉(わくらば)」は、そうした社会の片隅に取り残された人々の象徴とも解釈でき、「川の流れ」は人生や時の流れを例えたものと捉えることもできます。
歌詞には、具体的な川の名前は出てこないので、特定の川を指しているわけではないのでしょう。しかし、リンク先解説にも書かれているように、東京の「お茶の水橋」や「聖橋(ひじりばし)」から、”神田川”の水面をじっと見つめている若い女性の姿を、この歌が描く情景として思い浮かべる人が多いようです。
確かに、歌詞中に出てくる「街の谷 川は流れる」という一節からは、都会を静かに流れる中小河川がイメージされます。また、その川は谷のように深く掘り下げられているようです。こうした光景に似合う河川として、神田川をこの曲のモデルと考えるのは、極めて自然です。
神田川にかかる橋ではJR御茶の水駅を挟んで、駅の東側に「聖橋」、西側に「お茶の水橋」が架かっています。この辺りの神田川は自然にできた川ではなく、江戸時代に掘られた運河ですが、御茶の水駅から見た神田川は深い谷になっており、川幅やその深さなど、先ずその規模に驚かされます。
現在の重機のような掘削機械が無かった時代に、「鍬や鶴嘴などの手工具だけで、このように大規模な運河が、よく作れたな!」と感嘆させられますが、今ではその川岸が緑(水生植物)で覆われ、「絶景」と言っていい程の景観になっています。
現在の神田川は、東京都を流れる一級河川で、流路延長は25 kmにも及び、都内における中小河川としては最大規模になる川ですが、元々は江戸城の外濠として、敵の侵入を防ぐ目的で掘削された堀でした。
その後、外濠機能の強化と流域の洪水対策、及び人口増に伴い需要が急増した、江戸市中の飲料水確保のため、第二代将軍徳川秀忠の時代に大規模な開削工事が実施されました。
この開削工事を主に担当したのが、伊達政宗を藩祖とする仙台藩で、現在の御茶の水に人工の谷(茗渓)を開削しました。このため、かってはこの区間を「仙台堀」とも呼んでいた時期があり、その名称は今も残っています。(<注>江東区深川の仙台堀とは別です)
ところで、「川の流れ」と聞いて、私たちが思い起こす古典文学のひとつに、鎌倉時代の随筆『方丈記』(鴨長明)がありますが、その冒頭は、こう始まります。
【行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとゞまりたる例(ためし)なし。
世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。】
流れ続ける河の流れは一瞬も休まない。常に前へ進み、元の位置に留まることはない。流れていないように見える淀みも、無数の水の泡が、留まることなく浮かんでは消えて、永遠にとどまるものはない――。
すべてが変化していく、このような変化の継続する中に「無常」という真理が宿っている。この真理は、そのまま人間の世界にもあてはめることができます。
この無常観は、『川は流れる』の歌の世界にも、どこか重なるように感じられます。この曲の3番の歌詞には、こう書かれています。
【ひとすじに 川は流れる 人の世の 塵にまみれて
なお生きる 水をみつめて 嘆くまい 明日は明るく】
人の世の苦しみや悲しみに揉まれながらも、前を向いて生きていこうという静かな決意と、微かな希望が感じられます。この歌詞には、変わりゆく人生の中にある「確かな流れ」を見つめ、淡々と、それでも前向きに歩もうとする覚悟が込められているように思えるのです。
『川は流れる』は、ただの哀愁歌ではありません。そこには、変わりゆく時代と人々の心、そしてその中で静かに光る希望のようなものが、確かに存在しています。
この歌に耳を傾けながら、自分自身の“人生の流れ”を静かに見つめ直してみる――。そんな時間を与えてくれる、昭和の名曲のひとつです。
<<参考文献>> 新潮文庫『方丈記(全)』鴨長明 著 武田知宏 編
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