月明かりに照らされた春の宵、夜桜がはらはらと舞う中、人力車に揺られて嫁ぎ行く花嫁。その後ろ姿を、幼い妹がただ黙って見送っている——。『花かげ』は、そんな夢のような別れの情景を、どこか哀しみを帯びたメロディにのせて描いた名曲です。
上記リンク先の、この歌の紹介記事には、美しい挿絵が添えられています。夜桜のもと、静かに見送る幼い子の姿を描いたその絵とともにこの曲を聴いていると、不思議と胸に込み上げてくるものがあり、思わず目頭が熱くなってしまいます。
作詞を手がけたのは、童謡詩人の大村主計(おおむら かずえ)。彼は幼い頃、実際に桜吹雪の下を、人力車に揺られて隣村へ嫁いでいく姉・“はるえ”の花嫁姿を、まだ幼い弟として見送った体験がある、とされています。『花かげ』は、その時の思い出を詩にしたものです。
大村主計は男性ですが、この歌詞では見送る子どもを「妹」として描いており、現実の体験を詩的に昇華させた構成となっています。その創作的な視点が、歌の幻想的な雰囲気をいっそう引き立てています。
大村は明治37(1904)年、現在の山梨県・東山梨郡で生まれました。姉の嫁入りは、明治の末から大正初期にかけての頃だったでしょう。当時の山間部では、ひとつ山を越えて嫁いでしまえば、それが「一生の別れ」となることも珍しくはありませんでした。今では想像もつかないような時代背景です。
同じような姉妹の別れを描いた作品として思い出されるのが、島崎藤村の詩『高楼(こうろう)』(※“惜別の歌”の原詩)です。この詩では、嫁ぎ行く姉とその妹の相聞歌の形式をとっていて、『花かげ』と重なる世界観を感じます。
(<注>本文の一番下に、「高楼」全文へのリンクを掲載しています。)
『高楼』第四節には、姉が妹に向けて詠む、次のような一節があります。
【あゝはなとりの いろにつけ
ねにつけわれを おもへかし
けふわかれては いつかまた
あひみるまでの いのちかも】
「―――今日こうして別れてしまえば、いつまた会えるかも分からない。それまで、花の色や香りに触れるたび、私のことを思い出しておくれ」。
そんな切々とした心情が、明治の時代を生きた人々の、別れの重みを教えてくれます。
こうした時代背景を思い浮かべながら『花かげ』を聴くと、歌に込められた哀しみと優しさが、いっそう心に沁み入るように感じられるのではないでしょうか。幼い妹の胸に去来する想いが、まるで自分の記憶であったかのように迫ってくるのです。
まさに「夢幻」、「幻想的」という言葉がふさわしい情景です。
私はこの曲を聴きながら、昭和中期の週刊誌『週刊新潮』の表紙を飾っていた画家・谷内六郎の絵を思い出しました。彼が描いたのは、昭和という時代の中にある、どこか懐かしく、静かな日常の一瞬でした。その絵の多くには、消えかけた記憶のような優しさと寂しさが同居していました。『花かげ』の世界にも、まさにそのような情感が流れています。
『花かげ』は、遠い過去の一場面を切り取った、一つの小さな詩的な絵画のようです。桜が舞い散るなか、人力車の音が遠ざかり、幼い妹の視線だけがそこに残る——。その情景は、絵のように静かに胸に刻まれ、ふとした時に何度でも思い出される、そんな不思議な力を持っています。
<<参考資料>>
<<参考音源>>
久保木幸子の「花かげ」
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