「おもいで」という言葉は、歌やエッセイによく似合うからでしょうか。この言葉を題名やテーマにした作品は、数えきれないほど作られてきました。
今回ご紹介する2曲も、この言葉を題名にした歌です。いずれも昭和中期の作品で、大ヒットした楽曲ではありませんが、自分の青春期を静かに思い起こさせてくれる、印象深い歌です。聴く人の心にも、深い余韻を残してくれます。
「おもいで」という言葉は、歌やエッセイによく似合うからでしょうか。この言葉を題名やテーマにした作品は、数えきれないほど作られてきました。
今回ご紹介する2曲も、この言葉を題名にした歌です。いずれも昭和中期の作品で、大ヒットした楽曲ではありませんが、自分の青春期を静かに思い起こさせてくれる、印象深い歌です。聴く人の心にも、深い余韻を残してくれます。
1969年に発表されたキング・クリムゾンの『エピタフ(Epitaph)』は、半世紀以上を経た今もなお、世界の不安や人間の混乱を鋭く映し出す楽曲として聴かれています。
石狩川悲歌(歌:リンク)
人の記憶とは不思議なものです。長い歳月を経てもある風景を目にした瞬間、忘れていたはずの “その頃の想い” が、鮮やかに蘇ることがあります。
踊子(リンク)
まさに一幅の絵を見るような美しい歌です。主人公とまだ幼い踊り子との淡い恋心が、美しい旋律に乗って静かに胸へ染み込んできます。原作小説『伊豆の踊り子』を読んだことのある人なら、なおさら深い感慨を覚えるでしょう。
忘れられていた旋律が、思いがけない形で再び息を吹き返すことがあります。65年前、松島アキラが歌った『あゝ青春に花よ咲け』も、時の流れの中で次第に忘れられていった一曲でした。
折鶴(おりづる)をはじめとする「折り紙」には、日本人の感性が凝縮されている気がします。この歌を耳にすると、子供の頃の記憶がふと蘇り、懐かしさが胸に込み上げてくる――そんな方も少なくないでしょう。特に、幼い頃に折り紙で遊んだ記憶のある方なら、なおさらかもしれません。
“文部省唱歌” として長く親しまれてきたこともあり、この曲をご存じの方、或いはどこかで耳にしたことのある方は多いと思います。
明るい旋律でありながら、その奥に ”もの悲しさ” も感じさせる――そんな不思議な印象を残す歌で、いつ聴いても心に沁みるものがあります。
ふと昔を思い出すような時、繰り返し聴くほどに、しみじみとその良さが分かってくる歌です。素朴な歌詞と、それに似合う穏やかな美しいメロディが見事に調和し、この時代の田舎の空気、ゆっくりとした風情が記憶によみがえってきます。
『面影』は昭和39年に発表された歌謡曲で、静かで哀愁に満ちた歌です。世間的には決して大ヒットした曲とは言えませんが、歌い手 “三島敏夫” の柔らかく優しい歌声の魅力もあり、数ある昭和歌謡の中でも印象深い一曲になっています。
今回は、この曲のイメージ映像で描かれた情景の考察と共に、歌い手である三島敏夫の特異な経歴から、太平洋戦争の記憶をも辿ってみたいと思います。
終戦直後に生まれた抒情歌『あざみの歌』。哀愁を帯びた旋律と深い詩情をたたえたこの名曲は、今もなお多くの人の胸を打ち続けています。
本稿では、歌が生まれた背景や、歌詞に込められた想い、そして “アザミ” という花が象徴するものについて、この名曲の奥行きを味わってみたいと思います。
この『紅(あか)とんぼ』という曲は、ひとつの時代の幕が静かに下りる、その瞬間を見事に切り取っています。1988年(昭和63年)に発売された、“ちあきなおみ”のシングルですが、新宿駅裏の『紅とんぼ』という居酒屋を営んでいた女性が、店を畳んで故郷へ帰る最後の夜を描いた名曲です。
【夕暮れの田舎道を走る乗合バス、その車掌の襟ぼくろに、別れた恋人の面影を見出す】、また【恋人の故郷(ふるさと)を探して、海辺の町をさまよう】。
昭和38年に生まれた2つの歌謡曲は、どちらも「忘れえぬ面影を探し求める旅人」を描き、当時の日本人の心に深い哀愁を刻みました。
「歌は時代を映す鏡」と言われますが、この『おんな船頭唄』は正にその典型のような一曲です。この歌で描かれている場面には、現代の感覚では分かりにくい表現がたくさんありますが、一方で、当時の暮らしや感情を生き生きと伝えてくれる、貴重な作品になっているとも言えます。
音楽には、人と同じように、曲ごとに固有の「ポテンシャル(潜在力、可能性)」があります。長いあいだ注目されなかった楽曲が、編曲や演奏スタイルの変化によって、まったく新たな魅力を放つこともあります。
音楽、特に「流行歌」と呼ばれる大衆向け歌謡を聴くと、その歌が生まれた時代の空気や、人々の心のありようが感じ取れることがあります。歌詞の中には、当時の暮らしぶりや流行、そして人々が何に憧れていたのかといった「時代の記憶」が息づいているのです。
昭和初期の尋常小学校で歌われていた唱歌『田舎の冬』は、美しく懐かしい歌詞と、心に沁みるメロディを持つ一曲です。しかし、その歌詞をあらためて読んでみると、今の私たち、特に都会に暮らす現代人にとっては、意味がすぐには分からない言葉も少なくありません。私自身も、上記リンク先の解説を読んで、ようやく理解できた箇所がいくつもありました。
数年前の秋、兵庫県南部の白砂青松「須磨の浦」に近い、須磨寺を訪れたことがあります。須磨寺は、表題曲主役である平敦盛が愛用したと伝えられる『青葉の笛』が現存しているお寺です。須磨海岸の直ぐ傍を走るJR須磨駅で下車し、駅裏の静かな秋の砂浜海岸をしばし散策した後、徒歩で須磨寺へ向かいました。
この『うるわしの虹』という歌は、今ではほとんど耳にする機会がありません。古い歌が好きな人達にさえ、あまり知られていない曲ですが、哀愁を帯び、心の奥に深く染みわたる名曲だと思います。淡く切ない旋律にのせて、消えゆく夢や淡い恋心を静かに歌い上げています。昭和の空気を感じさせる、控えめで優しい旋律が印象的です。
『アルビノーニのアダージョ』という曲名を聞いても、知らない曲だと思う人がほとんどでしょう。けれど、このメロディに耳を傾ければ、きっと誰もが「どこかで聴いたことがある」と感じると思います。