1.時代背景と小泉八雲との対比
『武士の娘(A Daughter of the Samurai)』は、明治期の越後長岡に生まれた杉本鉞子(すぎもと・えつこ)が、武士の娘としての価値観を胸に異文化の地アメリカへ渡り、新しい世界の中で自己を確立していく歩みを描いた一冊です。
主軸にあるのは、自分の根にある武家の価値観を保ちつつ、西洋文化の良さも受け入れていく姿です。単なる自伝ではなく、小さなエピソードや心情の描写をつないで紡がれた、等身大の女性の記録であり、当時の日本文化を知る貴重な資料にもなっています。
今年(2025年)、NHK朝ドラの主人公として取り上げられている小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、アメリカから来て日本の地方都市(松江)で生活したのとは、ちょうど逆の方向をたどる物語になりますが、ほぼ同じ時代(明治中期)の出来事です。
本書を読んだ際にまず驚かされるのは、鉞子の記憶の細やかさです。幼い頃に育った家の造りや日常のしきたり、その頃の社会の出来事、家族や身近な人達との会話、さらにはアメリカへ渡ってからの種々エピソードやその時の心の動きが、まるでその場で見ているかのように、驚くほど克明に描かれています。
日記をつけていた可能性もありますが、波乱の人生ゆえ、強く心に刻まれた出来事が数多くあったため、その一つ一つが自然と記憶に残ったのでしょう。
2.杉本鉞子の人物像
名前の「鉞(えつ)」は、“まさかり” のことで、強い精神を持った武士の娘として育ってほしいという願いから命名された、と書かれています。
元々は尼僧になる子として育てられたため、生け花や裁縫といった女子教育のほかに、漢籍の教養も身につけていました。
越後長岡藩の家老だった父の死後、兄の希望により、その兄の親友の杉本松雄(松之助)と12歳で婚約します。松雄は福沢諭吉に傾倒し洗礼を受けた商人で、日本の古い商法を嫌い、アメリカ合衆国のシンシナティで日本骨董の店を開いていました。
鉞子はメソジスト系のミッション・スクールなどで4年間英語を学び、1898年(明治31年)、婚約相手の顔もしらないまま、結婚のため渡米しました。
その後、日常の風習や価値観の違いに戸惑いながらも、次第にアメリカ生活に馴染んでいましたが、夫の事業失敗のため、12年暮らしたアメリカを離れ日本に帰国しました。しかし帰国直後に夫の松雄が病気で急死。その後1916年(大正5年)に再渡米し、ニューヨークで定住しています。
3.『武士の娘』執筆の背景
『武士の娘(A Daughter of the Samurai)』は、夫の死後ニューヨークで暮らしながら、苦しい家計の糧として原稿料を目当てに、英語で新聞・雑誌に投稿を続けたものが基になっています。このため、原書は英語で書かれていて(*1)、日本語訳の本では自伝的小説として再構成されています。
純日本的な価値観を持つ武士の娘として育てられているので、アメリカ文化に対しては良い面だけでなく、ストレスを感じたり反感を抱く面も当然あったはずです。
しかし、アメリカの新聞・雑誌に投稿するという趣旨で書かれているので、当時の読者に受け入れられやすいように、アメリカ社会の悪口のような事は書かれていません。(習慣の違いによる批評的な事柄は書かれています)
鉞子の思想には、夫の杉本松雄からの影響も大きかったと思います。この人は福沢諭吉の信奉者でしたから、鉞子はアメリカに渡る前に福沢の著書『西洋事情』なども当然読んでいたでしょう。
福沢は欧米事情を日本に紹介した先駆者です。蒸気機関・汽車・電信・ガス灯などの目に見える文明の利器、いわゆる「箱もの」の紹介だけでなく、当時の日本人には無かった “欧米諸国に社会通念として存在した<自由>や<権利>という考え方” を説明しています。
さらに、政治制度や教育制度、或いは国債・収税法・商人会社等に注目し、その概念についても簡潔に説明しています。
こうした書物を通して渡米前にアメリカ社会の実情について、ある程度把握できていた事が、渡米後の鉞子には大いに役立ったと思われます。
4.アメリカでの生活とエピソード
『武士と娘』は、訳者あとがきに「この本は自伝ではない(*1)」と書かれているように、生まれ育ちから順に書き現したような系統だった自伝ではなく、エッセー風の書き物です。それだけに、書かれている内容は、ちょっとしたエピソードには事欠きません。
というより、全編が小さなエピソードで成り立っているような本です。
例えば、あるアメリカ婦人との会話の中で、その人が鉞子に『アメリカへご出発の時に ”お母さま”は、どうなさいました』と問いかけ、鉞子が『ただ、お辞儀をしてから、もの静かに “道中、気をつけてね” と申しただけです。』と答えています。
それを聞いたアメリカ婦人は『奇妙な表情をして黙り込んだ』、と書いています。当時の日本人、特に良家の子女は、強い感情を抑えることを、その心にも生活にも仕込まれていて、自ずと感情のみだりにあふれ出ることを避けていました。こうした心のありようは、中々理解してもらえることではなかったでしょう。
また、初めて音楽会で歌声を聴いた時の印象を書いています。この時の歌い手は、鉞子も知っている、ある富豪のお嬢さんだったそうですが、それまで、物静かな方と思っていた人が、舞台では別人のように大声で歌い出したので驚いたようです。
『甲高いふるえる声は、聞き慣れない私の耳にはわけのわからない騒音のようなもので、唯、不思議なものに思われました。
私の心に残ったのは、華やかさときびきびした動作と甲高い声だけでありました。』、と書いています。
このお嬢さんは、欧州にまで渡って修業を積んでいたとも書かれていますから、おそらく歌ったのはオペラだったのでしょう。『日本の古典音楽とは、何もかも大変違っておりました』という印象とともに、『音楽でも、聞く耳と同時に、きく眼を要求されるのでございます』と語っています。
5.戊辰戦争をめぐる記憶
『武士と娘』の中では、こうした渡米後のアメリカでのエピソードだけでなく、幼い頃に祖母や家族から聞いた、戊辰戦争での落城時の様子や悲惨な状況についても、”詳しく書かれています。
鉞子は長岡藩の家老首座、稲垣茂光の娘(六女)ですから、迫りくる官軍に対して恭順を主張した父 ”稲垣茂光”と対立し、官軍との戦いを主導した河合継之助に対しては、藩の運命を独断で決めた事や、その結果として藩が負った深い傷への遺恨から、批判的な想いを強く持っていたようです。
この本では、直接的な批判の記述は見られませんが、そうした想いが強くにじみ出ています。この辺は今の長岡でも賛否両論ある難しい話なのですが、戊辰戦争で敗者側に居た女性の想いを、如実に伝える史実記録としても貴重です。
6.『武士の娘』という書物の価値
この『武士の娘』という書物は、日本という見知らぬ国の文化を知る異国趣味の読み物としてアメリカで人気を博し、また7カ国語に翻訳され世界各国で広く読まれました。
一方、今読み返すと、この本は日本人自身に昔の武家の生活や風習を再認識させる書物にもなっています。特に武家の女性の視点で書かれているという点では希少で、重要な史料的価値を持つ書物でもあります(*2)。
杉本鉞子がこの本を書いた時点では、意図していなかったと思いますが、結果的に祖国日本の後世の人達に、当時の武家の生活事情を詳しく伝える事で今も貢献できている事に、筆者も喜んでいるのではないでしょうか。
武家の価値観を受け継いだ一人の女性が、異文化と出会い新しい価値観に触れ、その中で揺れながらも自分らしい生き方を見いだしていく姿は、時代を超えて読み継がれる力を持っていると思います。
<<参考>>
(*1) 『武士と娘』の原書は英語で書かれていて、そのタイトルは「A Daughter of the Samurai」となっています。これは “自伝ではない” ことから、敢えて「The Daughter of the samurai」とはしなかったようです。
(*2) 似たような題名で、『武家の女性』という本があります。これは、幕末の水戸藩下級武士の家に生まれ育った母から聞いた話を基に、山川菊枝という女性が書いた書物です。
武士の家庭と女性の日常の暮らしを女性の眼で生き生きと描き出していますが、杉本鉞子の描いた世界が上級武士家庭であるのとは対照的に、一般庶民に近い下級武士家庭の日常の暮らしぶりが描かれています。
<<参考文献>>
・ちくま文庫『武士の娘』杉本鉞子 著、大岩美代 訳
・岩波文庫『武家の女性』山川菊枝 著
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