前曲『誰か夢なき』の歌詞では、彼(か)の君へ憧れの感情を持ち夢見ている状態、が描かれていたのに対し、表題曲『夢去りぬ』の歌詞には、「この青春の夢も さめて散る花びら」、「過ぎし夢は はかなく消えて悲し」という一節があります。この部分の歌詞から察すると、この曲では「夢見ていたことが叶ったけれど、幸せな状態は長く続かず破局に至り、去ってしまった夢を追想している」という情景を描いているようです。
もちろん、この二つの曲は全く別物で、作られた時代や制作者も異なるのですが、歌のタイトルや歌詞を並べてみると、この二曲には親近感が感じられます。実際には、『夢去りぬ』の方が、『誰か夢なき』より8年ほど前に作られていて、憧憬(誰か夢なき)⇒成就⇒破局⇒追想(夢去りぬ)のはずが、制作年代的には順序が逆になっています。
この曲は、昭和を代表する国民的作曲家で、多彩なジャンルで数多くのヒット曲を生み出した服部良一にとっても会心作の一つでしょう。コンチネンタル・タンゴ風でエキゾチックな曲調の、味わいのある素晴らしい歌です。
戦前の昭和14 年に発表された曲とはとても思えず、リズミカルかつ秘めた情熱と優雅さが感じられます。作詞は「村雨まさを」となっていますが、これは服部良一自身が作詞する時に用いていたペンネームです。ところで、リンク先《蛇足》解説に書かれている盗作騒動の話はおもしろいですね。
戦後この曲がヒットした時、「服部良一は戦時中の名曲、R. ハッターの『ラヴズ・ゴーン』をそっくりそのまま盗用している」と非難されたようです。実は、R. ハッターというのは、R. Hatterと表記し服部良一自身のことでした。先ず洋盤として出し、輸入盤に見せかけて洋楽ファンの反応や評価を確かめた上で、邦盤として発売するという販売戦略をとったようです。
また、この曲は別の歌詞を付けタイトルも『鈴蘭物語』と変えた上で、『夢去りぬ』と同時期に発売されるなど、色々複雑な事情もあったようですが、それだけ多くの人を魅了した名曲だったということでしょう。
ところで、本題の歌の話からは外れますが、現実の世界で思い浮かべる「夢想」ではなく、実際に見る夢にも「明晰夢」と言われる不思議な夢があります。これは見ている最中に夢だと気づきながらも目覚めはせず、あたかも現実での体験のように感じられる夢のことです。
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