この曲を初めて聴いたとき、言い表せないほどの安らぎと静けさが、心の中に広がりました。シンプルな旋律でありながら、どこか"人の魂"に語りかけるようなこの曲が、いつしか世界中で愛される存在になっていったことに、深い納得を覚えます。
日本では結婚式などで耳にすることが多いかもしれませんが、アメリカでは主に葬儀の場で歌われる、定番の賛美歌として知られています。
この曲には、さまざまなアレンジや歌唱がありますが、ここでは特に印象深かった二つの、演奏及び歌唱をご紹介します。
■バグパイプとドラムによる演奏(スコットランド)
スコットランドで撮影されたと思われるこの映像では、小雨が降る中、大勢の立ち見の観衆を前にして、バグパイプとドラムによる演奏が奏でられます。この曲の原風景を感じさせるような、自然な雰囲気の中で鳴り響く、素朴で気取らない演奏が、かえってこの曲の美しさを、いっそう際立たせています。
■白鳥英美子さんによるア・カペラ独唱
(注)リンク先の上から3つ目が、白鳥さんによる歌唱です。
こちらは、白鳥英美子(旧姓 山室恵美子)さんによる完全なア・カペラでの歌唱です。伴奏音楽が一切ない中でのこの独唱は、技術・表現力ともに極めて高度で、並大抵の歌手には難しい歌唱だと感じました。
白鳥さんといえば、トワ・エ・モア時代の歌がよく知られていて、デュエットの印象が強かったのですが、この歌声を聴いて、彼女の本当の力量を初めて知ったような気がします。その見事なソロ歌唱から、「プロの歌手」とはどういう存在なのかを、あらためて考えるきっかけになりました。
昨今の音楽は、グループで歌われる曲や、テンポの速い、厳しく言えば誤魔化しの効く曲が主流となっています。この業界でのビジネス戦略的なところが大きいのだとは思いますが、巧みなバック演奏や演出によって、歌手個人の力量が見えづらくなっていると感じます。
一方で、アメージング・グレース(Amazing Grace)独唱のような、その歌手の真の技量が試される場面が減っています。このため、歌手本人も自分の本当の実力を把握しきれていない、こともあるのではないでしょうか。
逆に、どんなに実力のある歌手であっても、その力量を発揮できる機会に恵まれなければ、世に知られることはありません。リンク先でも同様のことが語られていますが、
【人の努力や技術ではどうにもならない、天性の“何か”を持つ人こそが、プロとして残っていく】という考え方には、深く頷かされました。
「オーラがある人」とよく言いますが、それは必ずしも派手で目立つということではありません。その人が自分の才能や信念に対して、心の底から揺るぎない自信を持っていること。その内面からくる落ち着きや気迫が、言葉や立ち居振る舞いににじみ出て、周囲に安心感や信頼を与える。それこそが「オーラ」と言われているものの実体ではないかと、私は思います。
どんな世界でも、そうした存在感を放つ人がいます。しかし、それだけで世に出られるとは限りません。時代や環境という「土壌(いわゆる、ファウンデーション)」が整わない限り、個人の力だけではどうにもならない――そんな現実もあるのです。
アメージング・グレースという曲自体も、もとはイギリスの一地方でひっそり歌われていただけの存在だったかもしれません。それが形を変え、時代を超えて、今や世界中で愛唱されるようになった背景には、この曲の持つ普遍的な力を見抜いた人々の存在があるはずです。
アメリカでは「第二の国歌」と呼ばれるほど親しまれ、日本でも本田美奈子さんをはじめ、多くの実力派歌手たちがこの曲を歌い継いでいます。賛美歌としてだけでなく、一つの「魂の歌」として、静かに人の心に寄り添い続けているのです。
どんなに素晴らしい実力を持っていても、それを発揮する場が与えられなければ、埋もれてしまう。けれど本物には、いずれ誰かが気づく力がある。
音楽も人も、真の実力があれば、きっと“見出される時”があるのだと──
この「アメージング・グレース」という一曲は、そんな希望を教えてくれているような気がします。
<<補足>>「 アメージング・グレースの成り立ち」
『アメージング・グレイス』研究家の築地武士さんからの情報などを基に、二木紘三さんが、この曲の成り立ちについて詳細な調査結果を書かれています。それによると、概ね以下のような経緯で誕生した歌のようです。
つまり、1700年代後半にイギリス人が歌詞を作り、1800年代半ばになって、アメリカの作曲家が、その詩にメロディを付けたという事のようです。
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