2025-06-06

月見草の花 (忘れられた童謡の名曲に寄せて)

月見草の花(リンク)

日本の童謡の中で、この『月見草の花』と『花かげ』は、素晴らしい名曲であるにも関わらず、あまり知られていないのが不思議です。若い世代にとっては無理もないことかもしれませんが、還暦を過ぎたような方の中でも、ご存じの方はあまり多くないように思われます。

 

テレビ番組などで童謡が取り上げられる際にも、この曲が紹介されることは先ずありません。そのため、知る機会自体が少ないのかもしれません。形式としては童謡ですが、実際には大人の情感をたたえた歌であり、もの悲しくどこか淋しさを感じさせる旋律のため、純粋な子ども向けの曲としては、メディアでは扱いにくいのかもしれません。

 

一方で、この歌についてリンク先の歌サイトに寄せられたコメントの多さには驚かされます。それだけ、この歌に心を打たれ、記憶に残り続けている人が多いのでしょう。

 

さて、ここからは、この歌詞に描かれた情景について、私なりに解釈を試みてみたいと思います。

 

3番の歌詞に「きょうも一人での月の海」とあることから、淡い月が出た宵のひととき、小高い丘の上から海を一人で眺めている情景が浮かびます。その丘については、「花咲く丘よ なつかしの」「思い出の丘 花の丘」とも歌われています。

 

これらの言葉から、この歌の情景は、大人になった主人公が、かつて幼い頃によく訪れた海の見える丘を思い出し、そこを再び訪れて過去を懐かしんでいる場面だと想像されます。丘の上から見下ろす海、その穏やかな風景に、かつての幼かった日々が静かに重なっていくようです。

 

また、2番に登場する「お船はどこへ行くのでしょ」という一節からは、過去を回想しつつ、これからの人生に対して漠然とした不安や迷いを抱いている主人公の心情が感じられます。思うようにいかない生活や、あるいは恋の悩みといった、現実に立ち向かいながらも、なお答えを見つけられずにいるような、そんな胸の内が垣間見えます。

 

そして、主人公がたたずむ丘には、ほのかに香る月見草が咲いています。その花を見つめるまなざしには、優しさとともにどこか諦念のような静けさも感じられ、この歌を聴く者の心に、そっと寄り添ってくるものがあります。

  

この歌自体には、「郷愁」「懐古」「将来への不安」といった言葉が直接使われているわけではありません。しかし、それらを思わせる感情が、旋律と詞の行間に巧みに織り込まれており、聴く人の心にじんわりと沁み入ってくるのです。

静かに耳を傾けていると、月見草の花は、まるで夢の中に咲いているかのようにも思えてきます。


このような心癒される曲が、今の時代にはあまり知られていないのは残念でなりません。『月見草の花』や『花かげ』のような優れた童謡は、もっと多くの人に知ってもらい、そして、世代を超えて歌い継がれていってほしいと願っています。

 

<<参考音源>>音楽サイト「エムズの片割れ」掲載

▼土居裕子の歌唱による「月見草の花」

土居裕子の歌唱による月見草の花(リンク)


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