2025-06-05

哀愁列車(切ない別れ、そして姿を消す見送りの光景)

哀愁列車(リンク)

 焼け跡世代――すなわち、幼少期から少年期を太平洋戦争のさなかに過ごした人たちにとって、「一番心に残っている歌は?」と尋ねられたとき、『哀愁列車』と答える方が少なくありません。この歌を耳にすると、思わず涙をこぼすという話もよく聞きます。 

 

 人は、自らの体験と強く結びついた歌に出会うと、それは単なる音楽ではなく、心の深い場所に刻まれる“記憶の鍵”となります。たとえば、戦時中に兵士として中国大陸や南方の島々を転戦した方にとっては『誰か故郷を想わざる』が、またシベリア抑留を経験された方には『異国の丘』が、それぞれ特別な意味を持つ歌として心に残っているでしょう。

 

戦後には、地方から集団就職で上京した若者たちの間で、『あゝ上野駅』が共感を集めました。こうした歌は、それぞれの世代にとって、単なるヒット曲以上の存在だったのです。

 

 『哀愁列車』もまた、そうした“心の歌”のひとつです。恋人同士の駅での別れを描いたこの歌が流行した当時、焼け跡世代の多くは青春のまっただ中にいました。きっと全国各地で、歌の情景そのままのような別れを経験された方が、大勢おられたと思います。

 

 そんな思い出を抱える人々がこの曲を聴けば、その別れの場面が、まるで映像のようにまぶたに浮かび上がってくることでしょう。同時に、自分が若かった頃の甘酸っぱい記憶や、懐かしい情景が、走馬灯のように胸の奥をめぐるのだと思います。

 

 ときには、その別れが永遠のものとなってしまった方もいたことでしょう。そうした深い感情の記憶は、生涯消えることなく心に残ります。そしてその記憶は、『哀愁列車』の旋律によって呼び起こされ、思わず涙があふれてくる――そんなことがあっても、決して不思議ではありません。

 

 時代は変わり、旅立つ人を見送るという風景も、日常から少しずつ姿を消していきました。なかでも、駅のホームで列車に乗る人を見送る光景は、今やほとんど目にすることがありません。交通機関が発達し、いつでも会えるという感覚が広がったこと。さらに、メールやSNS、ビデオ通話といった手段が普及し、遠く離れていても、すぐに繋がれる時代になったことも一因でしょう。

  

便利になった反面、駅のホームでの切ない別れや、後ろ髪を引かれるような旅立ちの光景といった、日本人の心にあった情緒のひとつが、静かに消えつつあるようで、どこか寂しさも覚えます。新たな文明の利器の発展の影には、眼には見えない所で、切り捨てられていく慣習や文化が在ることを、忘れてはならないと思っています。

 

 『哀愁列車』は、昭和歌謡を代表する歌手・三橋美智也の代表曲の一つです。最終的には250万枚を超えるセールスを記録しましたが、意外なことにこの曲はもともとB面に収録されていた、あまり期待されていなかった楽曲でした。

 

 それでも、冒頭の「惚れて〜惚れて〜」という高らかなフレーズで一気に耳を奪い、三橋美智也独特の、伸びやかで透き通るような高音が心地よく響き渡ります。やがてこの歌は口コミで火が付き、ミリオンセラーとなる大ヒットにまで成長しました。

 

 そして、二木楽団による名演奏(DAW)がこの歌をいっそう印象深いものにしています。聴けば聴くほど、歌詞の情景が鮮やかに浮かび上がり、メロディが深く、静かに、胸の奥へと染み入ってきます。あの時代を生きた人々の想いに、そっと寄り添ってくれる――『哀愁列車』は、そんな力を持った一曲だと思います。


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