作家の五木寛之がある時、美空ひばりとの対談の中で、「私の歌の中でどれが一番お好きですか」と尋ねられたことがあったそうです。五木が迷わず『津軽のふるさと』と答えると、美空は少し意外そうな顔をして「ああ、そうですか」と返したとのこと。
しかし、それ以降、美空ひばりはコンサートの冒頭でこの曲を歌う機会が増えていきました。おそらく五木の言葉によって、改めてこの歌の価値に気づいたのでしょう。
五木寛之自身はこの曲に深い愛着を持っていたようで、たびたびこの歌について熱く語っています。当時、知る人ぞ知る存在であったこの歌が、彼の語りによって再評価され、多くの人の記憶に蘇るきっかけとなったのです。
この曲は、いわゆる流行歌というよりも、津軽の自然や郷愁を詩情豊かに歌い上げた抒情歌です。そのため、ジャンルを問わず多くの歌手によって歌い継がれています。秋川雅史、五郎部俊朗、豊島正伸、岡本知高、塩田美奈子、松原健之、島津亜矢、田川寿美、森進一など、そうそうたる面々がカバーしていますが、やはり美空ひばりのオリジナルには及ばないと感じます。
特に1953年に発売されたオリジナル音源は、美空ひばりが15歳の時に録音したもので、その素直な歌いぶりと、高音域の伸びやかさが非常に印象的です。「ひばり」と名付けられた所以が、よく分かるような歌唱です。
録音状態は、今の基準からすると、あまり良くありませんが、静かに耳を傾けていると、津軽の美しい風景が目に浮かび、自然と郷愁がこみ上げてきます。(ステレオ再録音盤の方は、テンポがやや遅過ぎて、オリジナルの瑞々しさには及ばないように感じます。)
津軽地方は雪深いことで知られますが、私は若い頃、夏の時期にその西海岸を旅したことがあります。五能線に沿って、五所川原、鯵ヶ沢、深浦、十二湖と回りました。深浦の海岸と、十二湖の中でも特に青池のほとりでテントを張り、二泊しました。
十二湖という名前ですが、実際には三十近くの湖沼があるそうで、一つひとつの水の色が微妙に異なり、まるで自然が創り出したパレットのようでした。当時はまだ観光地としてはあまり知られておらず、訪れる人も少なかったため、辺りには静寂と神秘性が漂っていました。
ところで、津軽といえば、太宰治、寺山修司、棟方志功など、多くの文化人を輩出した土地でもあります。中でも太宰治は、自らのふるさとを描いた紀行風小説『津軽』を遺しています。
太宰は津軽の金木町(現在の五所川原市)出身で、本名は津島修治。津島家は地元では「金木の殿様」と呼ばれていたほどの名家でした。しかし修治は、生まれてすぐに実母の手から離れ、当時家に奉公に来ていた子守の少女“たけ”によって育てられました。“たけ”はその頃、まだ14〜15歳だったと言います。
小説『津軽』の中では、この“たけ”(実名:越野タケ)との数十年ぶりの再会場面が、非常に感動的に描かれています。太宰は“たけ”に会うため、彼女の出身地である小泊を訪れますが、その日は偶然にも村の運動会が開かれていました。“たけ”は運動会の掛け小屋におり、太宰はそこで、何の前触れもなく、突然再会を果たすのです。
ところが、“たけ”は太宰の姿を見ても、ほとんど口を開かず、ただ黙って運動会を見つめているだけでした。
“たけ”は「修治に逢いたくて、逢えるかな、逢えないかな・・・・」と、三十年ちかく、毎日のように、そればかり考えて暮していたのに、何の前触れもなく、突然目の前にその修治(太宰)が現れたので、口が利けなくなったようです。
最後の方で、“たけ”が太宰家から離れた当時に、金木の町で修治(太宰)と同じ年頃の子供を、一人ひとり見て歩いたと話しています。これは、津島家(太宰家)の勝手な都合で突然奉公を辞めさせられ、修治をはじめ誰にも何の挨拶もできないまま、別れさせられた、という事情があったからです。
太宰が、津軽地方を巡ったのは、晩年とは言え未だ35歳の時でした。彼はそれから4年後に亡くなっていますので、“たけ”と会ったのは、この時の出会いが生涯最後のものになったはずです。
掛け小屋で、“たけ”と一緒に村の運動会を見ていた時、数十年ぶりに会ったばかりにも関わらず、【・・・私には何の不満もない。まるで、もう、安心してしまつてゐる。】という気持ちになったのは、太宰にとって“たけ”が、幼い頃から心の拠り所のようになっていたからでしょう。この『津軽』という紀行小説には、この二人の突然の再開時の様子などが、上述のように実に生き生きと描かれていて、読む度に感動を新たにします。
太宰治の『津軽』に描かれた風景や人々は、現代の津軽とは少し違ってきているかもしれません。しかし、海や山、湖など、自然の美しさは今も変わることなく、訪れる者を惹きつけ続けています。
その風景や郷愁を、歌詞と旋律で格調高く描いたのが、この、美空ひばり『津軽のふるさと』です。抒情豊かなメロディーには、静かな明るさとともに、どこか切なさが滲んでおり、心に深く残るものがあります。
時代が移ろい、文化や価値観が変わったとしても、このような歌は、変わらぬ美しさをもって、人の心に響き続けていくはずです。『津軽のふるさと』は、まさにそのような普遍的な魅力を備えた一曲であり、末永く歌い継がれてほしい名曲だと思っています。
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