2025-07-23

黒い傷あとのブルース(”約束を破られた人”に寄り添う旋律)

黒い傷あとのブルース(リンク)

 この『黒い傷あとのブルース』は、日本では1961年ごろにヒットした一曲ですが、その原曲は『Broken Promises』というアメリカの楽曲です。

 作曲者はジョン・シャハテルという無名の作曲家。アメリカ本国ではほとんど知られていないこの曲が、日本でのみ評価されたのは、おそらく当時の日本人の心情に合ったからでしょう。


 この頃のアメリカは「黄金の60年代」と呼ばれ、経済的にも文化的にも活気に満ちていました。ロックンロールやポップスが全盛を迎え、ビートルズ旋風も巻き起こる中、物悲しい旋律のこの曲がアメリカで受け入れられなかったのは、ある意味当然かもしれません。


 一方、日本では、まだ戦後の余韻が人々の心に残っていた時代です。そんな時代の空気の中で、この哀愁を帯びたメロディが、多くの人の心に深く沁みたのでしょう。


 リンク先のコメント欄には、「このメロディと演奏が、どちらも異様に素晴らしく、心を揺さぶります」との形容で、賞賛する声が上がっていますが、私もまったく同感です。トランペット独奏が中心になっていますが、中間部で使われている楽器の音色も本当に素晴らしいです。


 演奏は「二木楽団」によるもので、DAW(Digital Audio Workstation)を駆使したデジタル音源で構成されています。実際の楽器とはやや異なる音色ながら、曲の雰囲気を見事に表現していて、感嘆せざるを得ません。


 さて、この楽曲の原題『Broken Promises』は直訳すると「破られた約束」になります。一体誰が約束を破ったのか── 日本語版の歌詞(小林旭が歌唱)では、中間部に次のようなセリフがあります。

「俺から言い出した突然の別れの言葉に、必死に涙をこらえていたあの娘。

黙って俺を睨んでいた。きつい別れだった。」


 つまり、主人公の男性が、恋人に別れを切り出し、彼女との約束を破った形になっています。


 ところが、原詩を見てみると、まったく逆の情景が描かれています。

   "You promised me a love that's true,

           And vowed by all the stars up above.

          But your promises, broken promises, broke my heart

          And left me all alone without my love."


  (君は真実の愛を約束してくれた。星々に誓って。

   だけどその約束は破られ、私の心は砕け、愛も失った──。)


 つまり、原詩では、主人公が“約束を破られた側”、になっているのです。

もし”約束を破った側”なのであれば、broken promisesではなく、broke my promise、のような表現になっているはずです。

 おそらく訳詞では、小林旭の男性的なイメージに合わせて、あえて視点を逆にしたのだと思われます。しかしこの点について、解説やコメント欄では全く触れられていないので、もしかすると私の勘違いなのかもしれません。


「約束を守ること」の重要性は、どの時代にも共通するテーマです。しかし、日本と西洋では、その約束の扱い方に文化的な違いがあります。


 江戸時代の日本では、「武士に二言(にごん)はない」という言葉の通り、口約束であっても絶対に守るべきものとされていました。これは武士道精神、ひいては儒教の影響による「信義を重んじる」価値観から来ているのでしょう。

 

 一方、西洋では契約社会が発達し、重要な約束は文書で明文化されます。逆に言えば、文書がなければ約束は反故にされる可能性が高い、ということでもあります。


 こうした「約束」にまつわる物語の代表として、太宰治の短編小説『走れメロス』を思い出します。学校での夏休み課題図書になることも多く、ストーリーを記憶されている方も多いと思いますが、この作品では、主人公のメロスが親友との約束を命がけで守ります。

 もしこの作品に英語のタイトルを付けるなら、『Broken Promises』ではなく『Kept Promises(守られた約束)』がぴったりでしょう。


 『走れメロス』は、高い評価を受ける一方、辛辣に批評されることも多い小説ですが、単純な美談のように見えて、実は非常に奥深い作品であることは、誰もが認めています。

 とりわけ着目すべきは、筋書きそのものより、主人公であるメロスの心の中の葛藤を深く掘り下げている点です。


 小説として細部を現実的に見ると、「無理がある」「都合が良すぎる」といった批判もあるでしょう。しかし、作者の太宰治はストーリーそのものに重きを置いているわけではなく、「約束した日限に間に合うか=親友の命を救えるかどうか」というテーマを読者に意識させると同時に、そのテーマを超えた何かがあることを暗示し、それが何かを考えさせようとしたのだと考えられます。


 誰しも、約束を守れずに悩んだり、逆に相手に約束を破られて傷ついた経験があるのではないでしょうか。たとえ悪意がなくても、事情が変わって、当初の約束が守れなくなることもあります。それでも、基本的なところで信頼関係があれば「仕方ないね」と許し合える──逆にそれがなければ、わだかまりとなり、人間関係のひび割れに繋がってしまいます。


 『黒い傷あとのブルース(原曲:Broken Promises)』は、約束を破られた(あるいは破った)主人公の胸の奥にある寂しさや後悔に、そっと寄り添ってくれるような曲です。悲しみに沈む人の心を、優しく包み込むその旋律は、時代を越えて、今も私たちの心に語りかけてきます。


<<参考音源>>

 Fausto Papetti 演奏の「黒い傷あとのブルース」(アルト・サックス)


<<参考文献>> 新潮文庫『走れメロス』太宰治 著


0 件のコメント: