音楽には、人と同じように、曲ごとに固有の「ポテンシャル(潜在力、可能性)」があります。長いあいだ注目されなかった楽曲が、編曲や演奏スタイルの変化によって、まったく新たな魅力を放つこともあります。
この『江の島エレジー』も、まさにそんな一曲です。特にインストゥルメンタル(器楽演奏)によるバージョンでは、その流麗なメロディの美しさが極限まで引き出され、静かに心に染みわたってきます。歌詞に頼らずとも、音だけで語りかけてくるような深さがあります。
この曲の舞台である「江の島」は、東京の都心からほど近い、風光明媚な景勝地です。江戸の昔から参詣地として、また行楽地として、庶民に親しまれてきました。私自身も何度か訪れたことがあります。陸繋島で、片瀬海岸から弁天橋を渡り島へ入ると、すぐに江島神社への参道が続き、両側には新鮮な海の幸を提供する出店が立ち並んでいます。まるで遠く離れた名勝海岸地を訪れたような気分にさせてくれる場所です。
島の奥には「岩屋」と呼ばれる海蝕洞があり、その先は切り立った海蝕崖に囲まれ断崖絶壁。その海と岩と風が織りなす迫力ある景観に、自然の力を感じさせられます。首都近郊の観光地として人気を博しているのも納得の美しさでした。
江の島周辺は遠浅で波も穏やかなため、海水浴場やヨットハーバーなどマリンスポーツの拠点として非常に人気が高い所ですが、さらに東へ行った七里ヶ浜沖では、突風が吹き荒れることもあります。
明治43年(1910)1月、逗子開成中学校の生徒11名と小学生1名、計12名が逗子の河口からボートで江の島に向かう途中、この七里ヶ浜沖で突風に煽られ転覆し、全員が命を落とすという痛ましい事故が起きました。
この悲劇を悼む鎮魂歌として世に出たのが『七里ヶ浜哀歌(真白き富士の根)』です。若い命の尊さと、自然の厳しさが静かに、そして力強く歌い上げられています。
【真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心~】
この歌は、100年以上経った今でも、人々の心に語りかけてきます。
さらに時代をさかのぼると、江戸時代後期には江の島の風景が多くの浮世絵に描かれ、歌舞伎の舞台にも取り上げられるなど、文化的にも高い存在感を放っていました。当時の旅人たちは、参詣を名目にしつつも、江の島の自然と美食、名産を楽しんでいたようです。
こうした人々の想いを今に伝える資料の一つに、『江の島縁起絵巻』(全五巻)があります。その中では、江の島誕生にまつわる神秘的な伝説も描かれており、江戸時代に訪れた人々も過去の物語に想像を巡らせ、また、遠い未来を漠然と想像していたことでしょう。
今の私たちが生きているこの時代も、数百年後の誰かにとっては「遠い過去」になるわけです。未来の誰かが、今の私達の暮らしや想いをどう受け止めるのかを想像すると、不思議な気持ちになります。
どこで読んだか、出典元が定かではない言葉なのですが、こんな一節があります。
【移りゆく景色は、時の流れを反映させ栄枯盛衰を繰り返す。
過去が物語るもの、現在が表すものすべてに、
人の『意志』が感じ取られ、途絶える事のない歴史となる。
未来を想像してごらん、
それは未来の景色が、今を生きる私達の『意志』であるから。】
『江の島エレジー』は、昭和26年(1951)公開の映画の主題歌として生まれました。終戦直後の引き揚げ船で出会った男女が、様々な困難を乗り越えて結ばれるというストーリーに基づいたもので、歌詞にもその背景が色濃く反映されています。
現在の若い世代にとっては、旋律も歌詞も「古い時代の陳腐な歌」と映るかもしれません。しかしそれこそが、この歌が生まれた時代の「空気感」や「想い」を、現代に伝える大切な要素なのだと思います。
おそらく百年後の人々も、令和のJ-popを聴いて「なんて古風な歌だろう」と感じることでしょう。けれどもその中に、きっと私たちが生きた時代の香りや想いが封じ込められている――そう考えると、音楽というものの素晴らしさが、より深く心に響いてきます。
<<参考音源>> 「真白き富士の根」(リンク)
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