この曲を初めて聴いたとき、その旋律の美しさと、どこか哀しみを帯びた響きが強く心に残りました。タイトルに掲げられた「穂高」は北アルプスを代表する名峰です。しかし、この歌には、山の歌としての顔だけでなく、戦中の軍歌を原曲に持つという、意外な歴史が隠されています。
「穂高岳(ほたかだけ)」は良く知られていますが、この名称は、単独の山ではなく、奥穂高岳を主峰とした山々の総称です。奥穂高岳は北アルプス最高峰で、涸沢岳・北穂高岳・南岳・中岳・大喰岳と連なる稜線を合わせて「穂高連峰」と呼びます。多くの登山者が憧れる雄大な山々です。
この曲の歌詞を見ると、一般的な登山というより、熟達したアルピニストによる挑戦的な登山の光景を歌っているように感じます。昭和30~40年代は、穂高連峰をはじめとする先鋭的登山が大いに盛んになった時期でした。国内では剱岳源次郎尾根や八ツ峰、北岳バットレス直登ルート、谷川岳一ノ倉沢などが未踏壁として残っていましたが、次々に登攀されていきました。
同じ時代、世界でもアイガー北壁、マッターホルン北壁、アンナプルナ南壁、さらには「最後の難壁」と言われたエベレスト南西壁が、1975年に初登攀され、これが未踏峰挑戦の象徴的な到達点となりました。
未踏の岩壁や未踏ルートが一つひとつ制覇され、「挑戦すべき対象」が無くなっていったことは、先鋭的登山の熱気が収束していった理由の一つでしょう。その後はより専門化したクライミングへと発展し、今日ではスポーツ競技としても注目を集めています。
ところで、山や登山を主題にした歌は数多く、「山男の歌」「山小舎の灯」「坊がつる讃歌」「雪山賛歌」、などが良く知られていますが、この『穂高よさらば』という楽曲は、意外に知る人は少ないかもしれません。
この原曲は、実は軍歌『雷撃隊出動の歌』です。1944年11月に公開された同名映画の主題歌として古関裕而が作曲しました。
「雷撃(らいげき)」というのは、航空魚雷を使った艦船攻撃(対水上艦攻撃)のことで、この雷撃に特化した飛行機操縦の専門部隊を雷撃隊と呼んでいました。九七式艦上攻撃機などの雷撃機は、800kgもある重い魚雷を搭載して母艦を飛び立ち、敵艦近くで投下して攻撃しました。
投下後の魚雷が一定深度を保って前進し、艦船の水線下を攻撃するという狙いでした。当然ながら、雷撃機が再び母艦へ戻れる保証はなく、その切迫した思いが、原曲の歌詞冒頭(「母艦よさらば」)には色濃く表れています。
<<原曲1番の歌詞>>(作詞:米山忠雄)
母艦よさらば 撃滅の
翼に映ゆる 茜雲
返り見すれば 遠ざかる
瞼に残る 菊の花
映画の撮影では空母「瑞鶴(ずいかく)」が用いられましたが、映画公開時には、既に瑞鶴はレイテ沖海戦(エンガノ岬沖)で沈められていて、現実の戦局が映画の内容を追い越していました。
本来は、戦意高揚を目的とした映画であったはずですが、実は、この映画では航空機の不足など、敗戦が濃厚な日本軍の状況も隠さずに描いていました。このため、戦後には「反戦色の強い作品」とも評されています。
古関裕而が作曲した軍歌は、『露営の歌』などもそうですが、表面的な勇ましさの奥底に、何とも言い知れぬ悲哀のようなものが感じられます。「雷撃隊出動の歌」も例外ではありません。
二木紘三さんは、リンク先解説の中で、次のように述べています。
【3番は他の聯とメロディが違います。原曲では、この聯に「天皇陛下万歳と……」という歌詞があります。古関裕而がここでメロディ転換を図ったのは、それを強調しようとしたからでしょう。
この強調は軍国主義への迎合だったかもしれないし、戦争賛美一辺倒の世相における一種の保身だったかもしれません。にもかかわらず、このメロディ転換は、すばらしい効果をあげています。古関裕而の才能がうかがい知れる部分です。】
この転調によって曲全体が深みを増し、ただの軍歌にとどまらない普遍的な魅力が生まれているのは確かでしょう。曲調転換により、曲全体のクオリティが高まっているように感じるのです。
戦後、この曲は「山の歌」として新しい姿を得ました。登山家・芳野満彦が作詞した一番をもとに、登山者たちによって二番以降の歌詞が加えられ、題名も『穂高よさらば』となりました。
芹洋子さんらが、明るい雰囲気で歌うバージョンでは、テンポが落とされ、軍歌的な色合いが抑えられています。また、原曲で印象的だった転調部分は使われていません。
リンク先のインストゥルメンタル演奏では、原曲に近い早いテンポが使われていることもありますが、平和な時代を象徴する山の歌として聴くと、その旋律の美しさが、いっそう心に沁みてきます。
『穂高よさらば』は、戦争の影と登山者の夢という二つの文脈を背負った歌です。軍歌として生まれながらも、戦後には山の歌として再び歌い継がれました。その二重の歴史が、このメロディをより印象深いものにしています。
いま私たちがこの歌を耳にするとき、そこには戦中の悲壮感を超え、平和な時代に山を愛でる人々の心が響いています。山に向かう憧れと、平和を願う祈りとが重なり合う――『穂高よさらば』はそんな歌として、これからも歌い継がれていくのでしょう。
<<参考音源>>
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