「生命とは何か」。誰でも一度は、この根源的な問題について、考えた事があるのではないでしょうか。近年、分子レベルでの研究が進展し、生命の本質に迫ろうとする試みが加速していますが、その一方で、私たちの身近な小さな生命もまた、大きな問いを投げかけてきます。
ここでは、最新の知見や学説を参照しつつ、生命というものについて感じた事を、自分なりに綴ってみます。
たまに机の上や目の前の壁を、胡麻粒ほどの、極々小さな虫が少しずつ動いているのを見ることがあります。数mmに満たないサイズの虫ですが、自分の意思で目的をもって活動しているように見えます。
それを見ていて、こんな極小の虫にも怖いとか嬉しいといった感情や、一匹ごとの個性といったものが有るのかと、思いを巡らせたりします。
また、指先ひとつでその命が永遠に失われ、一瞬で「生命」が「物」に変わってしまう不思議さと恐ろしさに気づき、改めて生命というものの神秘に、感動を覚えます。
最近の生命研究は、分子生物学の観点から探求されることが多くなっています。分子生物学とは、生物を構成する分子(水、タンパク質、核酸、・・・)といった要素の機能を解明し、生命現象を分子レベルで説明しようとするものです。
こうした分子生物学的な生命観に立つと、生命は「精巧な分子機械のようなもの」に過ぎないと云う事になります。つまり、生命を機械論的に考えているわけです。
SFの話ではなく、実際に、原始的な『生命』を試験管の中に創り出すことを研究している人も多く、今では世界中で「合成生物学」と呼ばれる分野の研究者たちが、このハードルを越えようとして競っています。
ただ、人工的に生命を創り出す試みにしても、先ず前提として「生命とは何か」という定義を明確にしておかなければなりません。地球上の生命の共通点として挙げられているのは、下記4つの項目になります。
・膜(まく)による内外の区別
・自分で自らを維持すること
・自らを複製し子孫を残すこと
・進化すること
逆にいうと、無機物等からこうした機能を持つものを創り出せれば、「人工的に生命を創り出せた」ということになる訳です。4つ目の「進化すること」は、流石にハードルが高すぎるので、今の研究ではそれ以外の3つの条件を満たせる物を人工的に作り出そうとして、世界中の研究者がしのぎを削っているようです。
こうした生命機械論からは少し離れた立場から、生命の根源について長く研究されていた福岡伸一という大学教授がおられます。この方が大学を定年退官するに際して、最後の授業という形で、改めて「生命とは何か」というテーマでの最終講義を行っていて、先年それがNHKの番組で放映されていました。(*1)
この福岡教授には『生物と無生物のあいだ(*2)』という、一般向けのベストセラーになった著書があります。文字通り、「生命体」と「物」との境界について解説した本ですが、最終講義はこの著書の内容に沿い、生命の本質について話されていました。
福岡教授の考えによると、生命とは「パーツからなる精密な機械のようなもの」と考えるだけでは、不十分だということです。何か他に見落としている要素があるはずだと考え、従来の生命機械論のように、生命を硬いものとして捉える発想ではなく、もっと柔軟で可変的なものと捉える発想から、『動的平衡』という考えを見出しています。
1年前の自分と今の自分は、中身が完全に入れ替わっているそうです。これがどういう意味かというと、細胞が全て生まれ変わっているという事です。角質が28日周期で生まれ変わる、毛が抜けて新しい毛が生えてくる。
体にはおよそ37兆個の細胞があって、それらは生きている限り何度も何度も生まれ変わりを繰り返している。ただその繰り返されるスピードが、ものすごく早く1年前に自分という人間を形作っていた37兆個の細胞は、今の自分の体内には一つも残っていないという話です。
なぜ細胞がそんなにせわしなく生まれ変わっているのか。それは、宇宙の大原則である「エントロピー増大則」に抗うためだと福岡教授は説明しました。つまり「秩序あるものは無秩序化する」。これを福岡教授は大変わかりやすい例え話をしてくれました。
地震に強い頑健な建物を作ったとします。100年は大丈夫。メンテナンスを繰り返せば200年程度は保証します。しかしそれが千年後にはどうなるか。1万年後は?・・・・
どんなに頑丈に作っていたとしても風化が始まり、いずれ朽ち果てて消滅してしまう。築き上げたものはいつか壊れて姿をなくします。
生物は38億年も生きながらえてきた。朽ち果てることにどう対抗してきたのか。細胞を積極的に壊すことにしたのです。エントロピー増大則が襲ってくるより前に、どんどん先回りして細胞を壊していく。体の中をわざと不安定な状態にして、それを補うための新しい細胞が生まれる環境を作る。生まれた細胞をまた壊し次を生み出す。生きている間これが延々と続く。
誰もが、自分の体を個体のように思っているだろうけれども、実は常に大きく動いている流動体なのだと福岡教授は言いました。
動きながら何時も新しく生まれ変わっている、つまり分解と合成を繰り返している存在な訳です。
分解があり、合成が起こる。そのサイクルを絶え間なく繰り返すことで、高次元の安定を作り続ける。この考え方を「動的平衡」と呼んでいます。「動的平衡」という考えを通して世界を見ることで、あらゆる生命活動やそれに関わる世界のダイナミズムを捉えることができると言います。
つまり、生命とは静止した存在ではなく、絶え間ない変化と更新の中でのみ存続し得る動態的な実体である、ということです。これがいわゆる『動的平衡』という福岡教授の生命観でした。なお、この生命観には源流があり、元々は1930年代後半に活躍した生物学者ルドルフシェーンハイマーが提唱した「ダイナミック・イクイリブリアム」が基になっています。
考えてみれば、生物も物(無生物)も、それを細かく分解し尽していけば、分子>原子>あるいは素粒子レベルでは、どちらも同じような要素から成り立っているわけです。同じ要素の組み合わせが、一方は「生命」になり、片方は「物」に留まります。
生命機械論にせよ、動的平衡論にせよ、生物と無生物(物)の決定的な違いを解き明かすことは未だできていません。
何れは、それが明らかになるのかもしれませんが、それが果たして良いことなのか、とも考えてしまいます。
ところで、動的平衡の考えを転用して、社会の課題についても考えることができます。例えば、会社組織を動的平衡で考えると面白い示唆があります。組織論の一つで、ハーバードビジネススクールの教授であるクリステンセンにより提唱された「イノベーションのジレンマ」という理論があります。
これは、『一度イノベーションを起こし成功した会社は、そのイノベーションに固執することにより、時代の変化に対応できず、破滅する』というものです。
イノベーションのジレンマはどんな組織にも起きる組織課題ですが、回避方法が「あえて組織内に破壊的イノベーションを起こせる部隊を持つこと」とされています。つまり、ここにも先に破壊することで生命活動を維持する動的平衡が見て取れます。
ただ、実際にはよほど革新的な考え方を持った経営者がいない限り、そのような組織を作ることは難しいでしょう。この組織論によれば、現在最新のテクノロジーを駆使して、世の中を席巻しているような会社も、その成功に固執して、次第に衰退してしまう運命にあるという事になります。
この辺は、難しい組織論を持ち出すまでもなく容易に推察できることです。年齢が20代中心の若手社員ばかりの会社が、その社員たちの斬新な発想を基にして成功を収めたとしても、時が経てば、そうした若手社員達も次第に年老い、組織が硬直化していきます。
会社や特定の組織体、或いは国を永続的に繁栄させるというのは、単発的にイノベーションを起こして成功するのとは、比べ物にならない程、難しい話だと思います。
生命体も組織体も、固定化された秩序を維持しようとするのではなく、むしろ積極的な「破壊と再生」を通して持続性を獲得する、という点で共通しているのかもしれません。
結局、生命の最小単位とは何なのか。細胞なのか、それとも細胞を構成する、もっとミクロな要素なのか。将来的に人工生命が作り出されたとして、果たしてその物(無機物から作られた生命)が、思考や感情を持つに至るのか、・・・・
問いを重ねるほどに答えは遠のきますが、その不確かさこそが、生命の神秘を際立たせているように思います。生命の本質を解き明かそうとする探究は、尽きることのない人類の挑戦なのかもしれません。
<<参考引用資料>>
*1 NHKスペシャル 「福岡伸一 最後の講義」
初回放送日(2020年3月19日)
*2 講談社現代新書『生物と無生物のあいだ』福岡伸一著
<補注>2025年開催中の大阪・関西万博には、【いのちの動的平衡館】
という、福岡教授がプロデュースしたパビリオンがあります。
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