2025-10-15

コスモス街道(初秋の風に ”秋桜” が揺れる想い出の道)

 コスモス街道(リンク)

 秋の光に揺れるコスモスの花。その姿を見ていると、ふと昔聴いたあの歌が蘇ります。1977年、フォークデュオ「狩人」が歌った『コスモス街道』です。この曲には、日本の原風景である旧街道の佇まいと、青春の残り香が息づいています。


 歌のタイトルにあるコスモス(秋桜)は、やせた土地でもよく生育し、初秋に赤・白・紫・黄など多彩な色の花を咲かせる、秋の花の代表格の一つです。日本に渡来したのは明治初期ですが、最近では歌の主題になることもあり、誰からも親しまれる花になっています。


 この曲は昭和52年(1977)に発売されていますが、歌い手の「狩人」兄弟にとって、『あずさ2号』に続く2曲目のシングルでした。チェンバロを使って始まる前奏が印象的で、兄弟の力強く美しい歌声とハーモニーが、秋の空気のように聴く人の心に、静かに染みこんでゆきます。


 作曲は、今は文化庁長官になっている都倉俊一です。静かな歌い出しで始まり、最後のサビに向けて、少しずつ情感を高めていく構成が実に見事です。この曲は都倉が創った歌の中でも会心作の一つだと思います。



 歌の舞台になっている街道が、実際に何処を指しているのかについては、諸説あります。国道254号線沿いに「コスモス街道」という観光スポットは有るものの、「だからそこが歌の舞台だ」という事にはなりません。旧北国街道と旧中山道の分岐点あたりが有力とされますが、むしろ「どこにでもあり、誰の心にもある道」として描かれているのかもしれません。


 『街道』とは、読んで字の如く「街と街をつなぐ道路のこと」ですが、この言葉にはどこか郷愁を誘う響きがあります。
 江戸時代には、いわゆる五街道が整備されてゆきます。
五街道とは、東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道の5つの主要道路のことですが、他に脇街道、つまり五街道以外の脇道が、主に地方の城下町を結ぶ街道として整備され、人や文化をつなぐ重要な道となりました。


 私が住む地域周辺でも、山根街道・東高野街道・河内街道、及び京街道などが、思い浮かびますので、脇街道を含めると全国に有る街道数は数百に上ると考えられます。


 こうした全国の街道沿いの、町や村の歴史・地理・風土・人物などについて、詳細に書き現した書物があります。司馬遼太郎が独自の視点で書いた、『街道をゆく』という全43巻に及ぶ、シリーズものの歴史紀行エッセイです。どの巻にも共通しているのは、街道を歩くことで、「過去の人々の息づかいに耳を澄ませ、過去と今を結ぶ」という思想です。


 司馬は、『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』など、大評判になった数々の歴史小説を書いているため、一般には、こういった歴史小説類が代表作品のように思われていますが、『街道をゆく』のような歴史紀行エッセイでは、その圧倒的な知識と卓越した見識がより色濃く現れていて、私には、このシリーズの方が代表作のように思えます。



 ところで、司馬の小説やエッセイでは、よく話が脇道へそれていきますが、同じようにここからは、主題の歌の話からは少し外れます。

 表題曲の歌い手である『狩人』というデュエット名から、ふと有名な絵画が思い浮かびました。ルネサンス後期の風景画家、ピーテル・ブリューゲルの代表的な油彩画に『雪中の狩人』という作品があります。


鑑賞空間「ブリューゲル: 雪中の狩人」(リンク)


 雪の山間集落や岩山を背景に3人の狩人が猟犬を引き連れて歩く情景を描いた作品です。多種多様なメッセージ性に満ちていてどの部分を見ても驚きと発見がある絵ですが、自然の中に生きる人々の営みと、人生の儚さが感じられます。


 神秘的で深みがある空の色や雪が強烈な印象を残す名画ですが、画中の右上の方をよく見ると、凍った池の上でスケートやそりすべり、それにカーリングをして楽しむ村の子供たちの風景も描かれています。この時代(17世紀)にも、既にスケートやカーリング遊びというのが有った、という事にも驚かされました。


 このように、この絵は細部まで楽しむことが出来ますが、鑑賞のポイントについては、次のように書かれています。


 【・・・・この絵から伝わってくるのは、そこに住む人々の生活感や喜怒哀楽なのですが、それさえも雄大な自然の前では無力でしかないという趣があります。

『もしかしたら人生で体験する様々な喜怒哀楽は、私たちが考えているほど大したことではなく、ほんの些細な事なのかもしれない・・・』と思えてくるから不思議です。】


 確かに、自分のささやかな人生を俯瞰しても、「悩んでいた事や、後悔したりしていた事など、後から振り返ると実は大した事ではなかった」という場合が多かったように思います。世の中で起こる大抵の事も、同じなのかもしれません。


 渦中に居ると、それに気付くのが難しいのですが、この『雪中の狩人』の絵は、全体を俯瞰するという視点から描かれているため、眺めているうちに、そうしたことに改めて気付かせてくれます。

 「人の喜びも悲しみも、雄大な自然の前ではほんの一瞬のきらめきに過ぎない。けれどもその一瞬こそが、私たちの生の証なのだ。」――この絵はそう語りかけてくるようです。



 最後に歌の話に戻しますが、本楽曲がリリースされた1977年は、日本の歌謡曲やフォークソングの分野で多様なヒットが生まれた活気ある時代でした。この『コスモス街道』もまた、当時の音楽シーンの一角を彩る名曲の一つとして、確かな足跡を残しています。


 この歌の主人公(おそらくは女性)は、失われた恋の面影を追いながら、二人が親密だった頃の ”想い出の場所” を訪ね歩いています。
 感傷的な情景や主人公の心情が繊細に歌われ、夏の終わりから秋へと移りゆく季節感を見事に表現した楽曲ですが、その情景は、誰の心にもある“過ぎ去った青春の記憶”を優しく呼び起こします。


 風に揺れるコスモスの映像を見ながら、静かにこの曲を聴いていると、時の流れとともに遠ざかっていった若き日の記憶が蘇り、・・・・

「秋―――」しみじみと、そう感じずにはいられません。



<<参考音源>>

森昌子&石川さゆりが歌う「コスモス街道」

 森昌子と石川さゆりの二人が『コスモス街道』を熱唱している貴重な映像があります。1978年の「紅白ベストテン」での映像のようなのですが、そうだとすると、この時、森昌子は19歳で石川さゆりは20歳ということになります。


 この曲を、公開の場で二人で歌うのは、初めてだったはずですが、それにしては圧倒的な歌唱力とハーモニーです。


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