2025-05-20

岩尾別旅情(出会いと別れの旅情詩)

 岩尾別旅情(リンク)

 1970年代、若者の旅といえばユースホステル(以下YH)でした。

今のように情報も交通も便利ではなかったからこそ、人と人との繋がりが旅の大きな楽しみの一つだったように思います。北海道・知床の奥地にある「岩尾別(いわおべつ)」も、当時旅する若者たちにとっては、特別な場所でした。

 

非常に不便な環境でしたが、だからこそ、見知らぬ旅人同士が自然と心を通わせるような、不思議な温もりがありました。そんな岩尾別のユースホステルに滞在した体験から生まれたのが、さとう宗幸の『岩尾別旅情』です。


この歌に耳を傾けると、当時の旅の空気、人との出会い、そして別れの切なさまでもが、ふんわりと立ち上がってくるように感じられます。

 

リンク先の音源は、さとう宗幸がメジャーデビューする以前、仙台でのスタジオライブ録音とのこと。静かで優しい旋律に、冒頭のギター演奏が特に印象的です。私は、さとう宗幸の数ある作品の中でも、この歌が最も心に残っています。

 

 1970年頃さとう宗幸は岩尾別のYHに何泊か滞在しています。さとうが滞在していた頃、そのYHには未だ電気が無く夜間はランプ生活でした。この当時、高山の山小屋などでは、夜間がランプ生活の所は珍しくありませんでした。


私も、信州八ヶ岳の赤岳頂上近くの山小屋に宿泊した時に、ランプ生活を経験しましたが、意外に明るくて、普通に生活するには十分な照度だったように記憶しています。

 

この曲は、その当時、岩尾別YHのペアレントだった方に、感謝の気持ちを込めて贈られた歌だそうです。ペアレントとは、そのYHのマネージャーのような人で、旅行者同士の交流や、旅行者と地域の人々との繋がりを促進する役割を担っていました。また、こうしたYHや山小屋には、ヘルパーと呼ばれるアルバイト学生が居て、食事の支度や掃除などの雑用を行っていました。

 

ギターと歌の得意なヘルパーが、夜の集い(いわゆる「ミーティング」)で合唱をリードしていたYHも少なくなかったようです。

しかし、こうした半ば強制的な集いを嫌う若者が増え、YHもその運営システムを変更せざるを得なくなった事もあり、次第に衰退していきました。


私も、見知らぬ人に気軽に声を掛けて話しかけるのは苦手な方なので、そうした気持ちも良く分かります。ただ、今の世の中で全く育った環境の異なる見知らぬ人と、親しく話しできる機会というのは、そう度々あるわけではありません。

 

表題曲が流行った当時に、YHで宿泊者同士の集いの場を設けていたというのは、若者達に交流のきっかけを提供する、という趣旨があったはずですし、今になって考えると、中々良い試みだったように思います。

 

表題曲の歌詞3番では、次のように歌われています。

   別れてゆく知床の 霧にけむる道で 手を振る君の姿は

   花のかげに消えた いつの日かまた会えると 笑顔で別れてきた

   君の声が今もきこえる その日までさようなら

 

非常に印象的な美しい歌詞ですが、この二人の出会いもYHでの集いがきっかけになっていた可能性があります。『いつの日かまた会えると、笑顔で別れてきた』と歌われていますが、現実には、再会の日は二度と訪れなかったかもしれません。ただ、この人の胸の奥に、その想い出が何時までも残っていると云うだけでも、素晴らしいことです。

 

今は一般社会でも、見知らぬ人との、ちょっとした交流を避ける傾向が強くなっています。駅のプラットフォームに置かれている待合の椅子も、対面を避けるような配置に変わってきていますし、以前はよく見かけた、列車内の「向かい合わせ方式の4人掛け座席」も、最近ではほとんど目にすることが無くなりました。防犯や感染対策といった現代の事情もあるのでしょうが、やはり見知らぬ他人との関わりを避けたい、という思いの人が多くなっているからでしょう。

 

もっとも、今では例え見知らぬ人同士が、列車内で「向かい合った4人掛け座席」に座わるようになったとしても、それぞれが自分のスマホに向かって黙々と対話するだけで、互いに何か、取り留めのない世間話をする事にはならない気がします。最近は、目の前に人が居ても、目を合わせるのを避けたり、相手を見ようとしない人が多くなっています。

 

関西人にはオープンな気質の人が多いため、まだ他人との垣根が低く、初対面の人にでも気軽に話しかける人が多いのですが、関東特に東京では、この手の人は少なそうです。しかし、そういう人でも全くそういう交流を求めていないのかというと、そうではなく、やはり心の底では、そういう機会を欲している人が多いのだと思います。結局、それが形を変えて、今はSNSでの会話になっているという事でしょう。

 

さて、表題曲関連の話に戻しますが、1970年代は、どのYHも大変人気がありました。私は、若い頃の旅ではテント宿泊が多かったので、YHでの宿泊はそれほど経験していませんが、北海道の屈斜路湖畔YHや、和歌山の潮岬灯台の傍に有ったYHには泊まったことがあります。このうち、潮岬YHは友人の親戚の方がペアレントをされていたので、その友人と一緒に何泊かしました。屈斜路湖畔YHでは、夜に宿泊者全員でのキャンプファイアがあり、火を囲みながら、しりとりゲームをした記憶があります。

 

こうした全国のYHの中でも、北海道特に知床半島を旅する若者にとって『岩尾別ユースホステル』は、旅人に対する熱烈なもてなしの気持ちとサービスで格別の存在でした。 

その岩尾別YHのペアレントを長くされていたのは「T.洋子さん」という方で、非常に個性的で元気な方だったようです。しかし、数年前に体を壊されて、その岩尾別ユースホステルも2020930日に閉館しています。

 

 形有るものは何時かは無くなりますが、この岩尾別YHに宿泊したことのある、多くの若者たちの記憶の中には、そこで体験したことや知り合った人達のことが、末永く残り続けることでしょう。この『岩尾別旅情』の歌は、当時各地のYHを旅した若者たちにとって、あの頃の記憶、そして青春の一ページを静かに呼び起こしてくれる曲になることでしょう。

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