「流れるようなメロディ」という言葉がありますが、この歌ほどその表現がしっくりくる曲も珍しいかもしれません。しっとりとした旋律に心が揺さぶられます。インストゥルメンタル(器楽)で聴くことで、一層その味わいが深まるのは、二木楽団による見事な演奏力のおかげでしょう。リズムに乗った細やかな音程の上げ下げが耳に心地よく、感傷的なメロディが哀愁をたたえて心に染み入ります。
今では、日記を書く人は少なくなったかもしれません。書いていても、紙のノートよりスマホやパソコンを使ったデジタル日記のほうが主流でしょう。本来、日記とは自分のために綴る私的な記録です。しかし、SNSのように「他人に見せるために書く」スタイルが日常になった今、それはもう“日記”とは別物と言えるのかもしれません。
私自身は、これまで日記らしいものをきちんと書いた経験はありません。しかし、私の父は、3年分が1冊に収まるタイプの「見開き式日記」を、長年つけ続けていました。1ページに同じ月日の3年分が並ぶ形式で、「去年の今日、何があったか」が一目で分かるようになっているものでした。たまにその日記をめくる父の姿は、過去の自分と静かに語らっているようにも見えました。
表題曲は『思い出日記』というタイトルではありますが、歌詞の中に“日記”が登場するのは、実は3番の「夢より淡い おもいで日記」の一節だけです。それでも、このタイトルが選ばれたのは、当時の風潮と無関係ではないでしょう。
というのも、この曲が流行していた頃、「哀愁日記」「青春日記」「からたち日記」など、“〇〇日記”というタイトルの歌が数多く登場していました。それだけ、日記というものが人々の生活に深く根ざしていたのでしょう。日記を読むこと、そして書くことが、感情を育み、記憶を結びとめる手段だったのだと思います。
紙の日記には、書いたその時の感情が、文字の癖や筆圧の強弱にもにじみ出ます。デジタルな文章では味わえない、独特の“人の温度”があるのです。
日本の歴史を振り返れば、「日記」が文学として昇華した名作も少なくありません。もともと自分のために書くものだったはずの日記が、時を越えて多くの人の心に語りかけてくる――そんな“日記文学”の世界があります。
例えば:
『土佐日記』(紀貫之)、 『紫式部日記』(紫式部)、
『蜻蛉日記』(藤原道綱母)、 『和泉式部日記』(和泉式部)、
『明月記』(藤原定家)、 『更級日記』(菅原孝標女)
近代以降では、永井荷風の『断腸亭日乗』や、イザベラ・バードの『日本紀行』も、ある意味で“日記文学”と言えるかもしれません。
なかでも『更級日記』は、私が特に印象に残っている一冊です。著者は平安時代の貴族、菅原孝標の娘。13歳の頃(寛仁4年・1020年)から、52歳頃(康平2年・1059年)までの約40年にわたる記憶が、回想という形で綴られています。
特に、少女時代に上総から都へ戻る旅路の描写は、1,000年の時を経ても瑞々しく、切なさと希望が同居する心情が伝わってきます。考えてみれば、現代の我々が、今から千年近く遡るはるか昔の、貴族の娘の心の中の葛藤や想いを、手に取るように詳しく知ることができる、というのは奇跡のような話です。
この日記は日々の出来事を記録したものではなく、「心に深く残っている情景や思い」を後から書き記したものです。文庫本にすれば、僅か70ページほどの短さでありながら、時代を超えて読む人の心に届く力を持っています。まさに「日記」が文学になる瞬間です。
この『思い出日記』の歌が流行った時代、多くの若い女性が、胸のうちに秘めた想いを日記に書き留めていたのではないでしょうか。偶然の出会いに心ときめいた日、別れに涙した夜・・そんな一つ一つの出来事が、ノートの片隅に小さく刻まれていたのでしょう。
そうした感情は、時が経てば少しずつ色あせていくものかもしれません。しかし、日記に書かれた“その時の気持ち”は、何時までも消えることなく、書いた人の心の中に残り続けるはずです。そしてそれは、いつか自分が再び手にとって読んだ時、遠い過去の記憶を、まるで昨日のことのように蘇らせてくれる――そんな力があるのだと思います。
『思い出日記』という歌をきっかけに、日記という行為そのものが持つ意味や価値について、改めて思いを巡らせました。昭和の歌には、人の営みの中にある“静かな強さ”や“忘れかけた優しさ”が込められています。そして、「日記」もまた、静かで深い人間の記録です。
0 件のコメント:
コメントを投稿