2025-05-17

波浮の港(島に生きる人々の情感が漂う歌)

 波浮の港(リンク)

 伊豆大島の南東に位置する「波浮(はぶ)の港」。表題曲は、この小さな港を舞台にした歌で、昭和3年に発表され、以来長く人々の心に残り続けてきました。出船(でふね)の時は泣いて別れを惜しむ、島の娘の素朴で切ない心情と、当時の島の暮らしぶりが、詩情豊かに描かれています。 

 

 日本は島国と言われ、島の数は14,000以上にのぼると言います。その大半は無人島で、実際に人が暮らしている有人島は、僅か400程度に過ぎません。この歌が生まれた昭和初期の頃、そうした島々で最も不足していたのは「水」、そして「情報(便り)」でした。

 

今でこそ水道・電気といったインフラが整備され、多くの島が本土とつながっていますが、当時は生活の基盤が脆弱な島も少なくなかったはずです。とりわけ小さな島では水の確保が深刻な問題でした。川や井戸すらない島もあり、そうした場所では雨水を貯めて生活に使うしかなく、水は文字通り「命の水」だったのです。

 

1970年頃、私は東北・石巻市の東沖にある江島・足島という小さな島を訪れたことがあります。海猫の繁殖地として知られる、自然豊かな島でした。泊まったのは島の民宿のような宿。到着するやいなや、宿の方から「水を無駄使いしないよう」に滾々(こんこん)と説明され、島での水の貴重さを実感しました。そのとき初めて、「水があること」が当たり前でない世界があることを肌で感じたのです。

 

また、当時、島にはテレビもなく、島の外の情報が入りづらい状況でした。旅人が話す世間話のひとつひとつが、島の人にとっては貴重な「便り」だったように思います。伊豆大島は大きな島なので、もっと整備されていた可能性はありますが、やはりこれに近い状況だったかもしれません。

 

この曲の歌詞を書いたのは、「青い眼の人形」や「七つの子」など有名な童謡の作詞で知られる詩人・野口雨情です。雨情がこの詩を書いたのは大正12年で、実際に伊豆大島を訪れたのではなく、絵葉書を見ながら想像でこの詩を書いたと言われています。

 

そのため実際とは異なる点が幾つかあります。例えば、波浮の港は西側に山を背負っているので、夕陽は射さないのに『~波浮の港にゃ夕焼け小焼け』という一節があり、このため後に批判されています。

 

 しかし絵の写生と同じで、詩や歌詞と言うのは、必ずしも現実に忠実である必要はないと思います。その曲を聴く人の想像を掻き立て、感情を揺さぶる効果があるなら、多少の脚色は許されるはずです。むしろ、現実を超えて人の心に働きかけ、想像をふくらませることにこそ、芸術としての価値があるのではないでしょうか。

 

 この曲のメロディは本当に切なく胸を打ちます。特にこの二木楽団による演奏では、不協和音的なアレンジも施されており、聴く者の感情を揺さぶる効果がより強く感じられます。また歌詞には、昔は侘しい漁村だった波浮の港で、伊豆半島・伊東からの便りを心待ちにする島の暮らしや、出港する恋人の無事を願って浜辺に立つ娘の姿が、静かに、しかし深く描かれています。

 

そんな風景を想像しながら耳を傾けると、過ぎ去った時代への郷愁とともに、島に生きた人々の心の機微が、ゆっくりと、心の奥へ染み込んでくるようです。

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