この歌は、フォーク・ブームの晩期にあたる昭和50年(1975年)に発表されたそうですが、当時の私はこの曲を知りませんでした。京都・洛北に位置する大原の、三千院から寂光院へと続く細い田舎道が主題となっており、大原の山里がもつ静けさやひっそりとした雰囲気が、歌全体に美しく漂っています。フォークソングでありながら、どこか抒情歌にも似た情感をたたえた、実に味わい深い一曲です。
この曲を歌っているのは「うめまつり」というユニークな名前のフォークグループです。一見しただけでは音楽グループの名前とは思えないかもしれませんが、メンバーは京都出身で、特に梅の名所として知られる「梅園」をこよなく愛していたことから、そこにちなんで命名されたのだそうです。
さて、その大原の地へ、私は数年前に足を運んだことがあります。京都市内の中心部や嵯峨野・嵐山あたりの華やかさとは異なり、大原はどこか鄙びた風情をたたえ、「山里」という言葉がぴったりくる、静かで落ち着いた場所でした。
観光地として有名な三千院や寂光院のほかにも、勝林院、来迎院、宝泉院、実光院など、天台宗系の寺院が点在する小盆地であり、訪れる人に心の静寂を与えてくれます。ちなみに「三千院」の名は、天台宗の教えである「一念三千(いちねんさんぜん)」に由来しているそうです。
「一念」とは心の一瞬のはたらきを指し、「三千」とはこの世のあらゆる現象を意味するとのこと。一瞬の心の動きの中に、全宇宙が内包されているという思想は、宗教という枠を越えて、深い哲学的な含みを感じさせます。
寂光院は天台宗の尼寺で、推古2年(594年)、聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために創建したと伝えられています。聖徳太子といえば、世界最古の木造建築として知られる奈良・斑鳩の法隆寺を建立した人物でもあります。法隆寺は、日本で最初に世界文化遺産に登録された寺院としても有名です。
昨秋、その法隆寺を久しぶりに訪れました。思い返せば、小学校の遠足で初めて訪れて以来、これまでに5~6回は足を運んでいますが、今回はこれまでと少し違う、深い感慨がありました。自分自身が歳を重ねてきたせいでしょうか。「次に来られる機会があるかどうか…」という思いが心の片隅にあり、旅の一歩一歩が静かな感傷に満ちていたように思います。
法隆寺の境内に立つと、自分の限られた人生とは別の、千四百年という悠久の時の流れを肌で感じるような、不思議な感覚に包まれます。五重塔や金堂、玉虫の厨子といった数々の宝物もさることながら、私が今回もっとも印象深く感じたのは、東西の伽藍をつなぐ大通りの美しさでした。
西院伽藍から夢殿、中宮寺へと続くその石畳の道は、幅が非常に広く、他のどの寺にも見られないような開放感があります。その両脇には、年月を経た土塀が静かに並び、まるで古代の風景の中に迷い込んだかのような感覚を覚えました。華美ではなく、しかしどこか厳かで、悠久の歴史の重みがしっかりと根付いている——そんな印象でした。
話を「大原の里」に戻します。この曲は、今では知る人も少なくなっているかもしれませんが、洛北の静かな山里の空気だけでなく、斑鳩のような歴史ある土地の静謐な空気にも通じるものを、そっと私たちの心に運んでくれるような名曲だと感じます。時を越えて響く音と情景が、ふとした旅の記憶を呼び覚まし、今なお心に沁み入ります。
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