1970年代後半から、現在に至るまで活躍を続けている、原大輔という歌手がおられます。フォーク・ニューミュージック・シャンソン・カンツォーネ・クラシック・歌謡曲・演歌・童謡・アニメソングまで、実に幅広いジャンルを自在に歌いこなす方です。
知名度としては決して広く知られているわけではありませんが、その歌唱力の高さには定評があります。声はよく伸び、声量もありながら、変な癖がなく、実に自然体な歌いぶりで、実力派という言葉がぴったりの歌手です。
これは歌手に限らず、どの職業でも共通しているかもしれませんが、経験を重ねるうちに、どうしても“力み”や“癖”が目立ってくるものです。ところが原大輔は、ベテランでありながらも、その歌声は一貫して柔らかく真っ直ぐで、自然体であることの難しさと尊さを、あらためて感じさせてくれます。
今回は、そんな原大輔が歌う名曲の中から、『秋冬(しゅうとう)』と『黄昏(たそがれ)』という2曲をご紹介したいと思います。
■ 秋冬(しゅうとう)
この曲の作詞を手がけたのは中山丈二。残念ながら1980年、36歳という若さで早逝した詩人です。彼が遺したデモテープの中にあったこの『秋冬』という曲を、友人たちが自主制作でレコード化していました。その後、1983年に橘美喜がシングルリリースしたことをきっかけに注目され、多くの歌手によるカバーが相次ぎ、ちょっとした“秋冬ブーム”が起こりました。
作曲は堀江童子(ほりえどうじ)という方ですが、調べてみても詳しい情報は少なく、ハッキリしたことは分かりませんでした。「堀江童子」は、実は作曲家・堀江淳氏の別名義の可能性があるとも言われていますが、確証はありません。この曲については、作詞の中山丈二ばかりに注目が集まりがちな点で、作曲者が少し気の毒に感じられます。
数多くの歌手によってカバーされた中で、最も知られているのは「高田みづえ」さんの歌唱かもしれません。しかし、原大輔が歌う『秋冬』には、また違った魅力があります。情緒あふれるメロディと詩の世界に、原大輔の落ち着いた歌声が寄り添い、深く心に染み入ってきます。歌詞・メロディ・歌唱の三拍子が揃った、まさに名曲と呼ぶにふさわしい一曲です。
ちなみに「秋冬(しゅうとう)」という言葉は、一般にはあまり使われませんが、四季を表す「春夏秋冬(しゅんかしゅうとう)」の後半部分だけを抜き出したものという訳ではなく、国語辞典にも載っているれっきとした言葉(語)です。
日本のように四季の移ろいを敏感に感じられる国では、古来より「春秋論争(春秋優劣論)」というものがありました。春と秋、どちらがより美しいか、優れているかを論じる風潮です。特に平安時代の貴族社会では、この議論が盛んに行われ、『源氏物語』や『更級日記』にも数多くその記述が見られます。
では、その論争はどう決着したのでしょうか。平安前期に編まれた勅撰和歌集『古今和歌集』における収録歌数を比べてみると、「春」よりも「秋」に関する歌の方が多く収められており、自然描写の比率でも秋が優勢です。また、『源氏物語』全体で見ても、春より秋の描写に重きが置かれているように見えます。
さらに興味深いことに、当時の貴族たちは「春派」「秋派」といった趣味嗜好の派閥を作り、互いに主張を競い合っていたようです。現代の私たちからすれば、なんとも優雅で風流な“抗争”ですが、一方で、どんな時代のどんな場所や組織であっても、何人か人が集まると、必ず派閥のようなものが生まれてしまう、という人間社会の一面を改めて感じてしまいます。
■ 黄昏(たそがれ)
『黄昏』は、岸田智史(後の岸田敏志)が1977年頃に作詞・作曲し、自身でもレコーディングした楽曲です。タイトルの通り、しみじみとした哀愁を湛えた曲で、エレキギターの伴奏がその切なさを際立たせています。
「黄昏(たそがれ)」は「誰そ彼(たそかれ)」が語源といわれ、「あれは誰?」と人の輪郭が曖昧になる夕暮れ時を意味します。また、辞書には「物事が終わりに近づき、衰えの見える頃」ともあり、比喩的にも深い意味を持つ言葉です。
この「黄昏」という言葉にちなみ、ギリシャ神話には次のような象徴的な表現があります。【ミネルバの梟(ふくろう)は黄昏時に飛び立つ】――
これは18世紀の哲学者ヘーゲルが『法の哲学』序文で引用した一節であり、ミネルバ(知恵の女神)が連れている梟は、“知性”の象徴とされています。つまり、知恵とは何かが、終わりを迎える頃になって、ようやくその全体像が見えてくる、という意味合いです。
「人生の黄昏時にこそ見えてくるものがある」そう考えると、この曲の持つ哀愁もまた、単なる寂しさではなく、静かな成熟と深みを感じさせてくれるものです。
『秋冬』と『黄昏』――どちらも、人の心にそっと寄り添い、人生のある時間を映し出してくれるような曲です。原大輔の歌声によって、これらの楽曲はさらに深い味わいを持って響いてきます。
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