2025-06-03

少年の秋(忘れられたラジオ歌謡の名曲)

少年の秋(リンク)

 戦後の復興期に、NHKラジオで放送されていた「ラジオ歌謡」の中には、聴く人の心に深く沁みる名曲が数多く存在します。中でも、「隠れた名曲」という言葉が、まさにぴったり当てはまるのが、この《少年の秋》という歌です。


この歌は、二木紘三さんが運営されている歌サイト「二木紘三のうた物語」に掲載されています。そのコメント欄に寄せられた多くの投稿を見ると、そこには古い歌に詳しい方々が集っておられますが、それでも、この歌はこのサイトで初めて知ったという声が目立ちます。私自身も、偶然この歌サイトで出会うまで、その存在すら知りませんでした。

 

調べてみると、あの《踊子》で知られる三浦洸一が歌っていた曲であることが分かりました。しかし、ラジオ歌謡として放送されたのは僅か6日間という短い期間で、世に広まることもなく、何時しか忘れられていったようです。

 

この歌詞を書いたのは、純粋詩の世界で名を馳せた佐藤春夫です。元となった詩『少年の日』は、春夏秋冬をそれぞれ詠んだ四聯からなり、その第三聯にあたる「秋」の部分が、のちに歌謡曲として発展・昇華されたものだそうです。

 

「歌謡には何よりも歌い出しの一句が大切と聞き及んでいた」と佐藤春夫自身が語っていますが、《わがふるさとの南国も――》という冒頭の旋律を耳にした瞬間、私は何十年も前の記憶に一気に引き戻されました。子供の頃のあの感覚が、ふと蘇ってきたのです。

 

佐藤春夫には、もう一つ《海辺の恋》という比較的よく知られた詩があります。そこに描かれた情景と《少年の秋》が描く情景には共通点があり、いずれも彼の故郷・紀州新宮の海辺が舞台となっています。一つは少年時代の淡い心象を、もう一つは成長した大人の恋心を描いており、二つの詩はどこかで静かに繋がっているようにも感じられます。

 

何事にも通じることかもしれませんが、本物の名人と呼ばれる人は、派手な技巧や奇をてらった表現に頼ることなく、淡々とした中に深い輝きを宿しているものです。この歌詞も一見すると、特別な言葉や構成を用いているわけではありません。けれど、その平明な語り口の中に、少年の心の揺れが、驚くほど繊細に描き出されています。

  

  仮に素人が同じテーマで似通った詞を書いたとしても、それはどこか表層的なものになってしまうでしょう。しかし、詩人が詩人として見つめた『少年の秋』は、感性の深さ、視点の柔らかさ、そして言葉の選び方において、やはり奥行きが違っています。

 

この歌の魅力は、詞だけにとどまりません。作曲を手がけた渡久地政信による短調のメロディは、洗練されながらもどこか哀愁を帯び、心の奥底に染み入るようです。そして二木楽団の演奏(DAW)は、その旋律をさらに引き立てるように流れ、聴く者を優しく包み込みます。

 

歌詞・旋律・演奏――この三拍子が高い完成度で調和し、《少年の秋》は一つの芸術作品として心に深く残ります。少年の頃の心の風景を、静かに、しかし確かに思い出させてくれるこの歌。どうして、こんなにも美しい歌が、今ではほとんど知られていないのでしょう。時代を越えて、もっと多くの人の耳に届いてほしい名曲だと感じています。


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