2025-06-04

わすれ雪(無名の職人たちへのオマージュ)

忘れ雪(リンク)

『わすれ雪』という言葉をこれ迄あまり耳にしたことがなかったので、この歌を作った“手仕事屋きち兵衛さん”による造語かと思っていました。

しかし調べてみると、「わすれ雪」は広辞苑にも記載されており、春の季語としても使われる正式な言葉だと分かりました。

 

意味としては「その冬の最後に降る雪」・「雪の果て」といったもので、伊勢正三さんの『なごり雪』とほぼ同じようなニュアンスです。ただ、『なごり雪』は歌としても広く知られていますが、『わすれ雪』は歌も言葉も非常にマイナーで、知る人は限られているようです。

 

 歌っている“手仕事屋きち兵衛(てしごとやきちべい)さん”の本業は、木彫刻業(もくちょうこくぎょう)で、いわゆるプロの歌手ではありません。そのため、テレビなどメディアで見かけることもほとんどありません。


その歌唱法を一言で表現するなら、「素直な歌い方」と言えるかもしれません。プロの歌手のように技巧を凝らすことはなく、小細工を排して、ゆっくりと丁寧に歌い上げています。柔らかく、澄んだ歌声が、聴く人の心に静かに沁みわたっていきます。

 

 本業では、信州・安曇野の自然に囲まれた工房で、日々木彫の作品を制作されているのでしょう。こうした作品は一般的に「民藝品」と呼ばれていますが、この「民藝」という言葉自体、昔から有ったわけではなく、近年になって柳宗悦(やなぎむねよし)という人達が提唱して生まれた、「民衆的工芸」を指す言葉です。

 

 柳宗悦は、明治から昭和にかけて活躍した美術評論家であり、日用品の中に美を見出し、それを作る職人の手仕事に価値を見いだした「民藝運動」の創始者として知られています。彼の著書『民藝紀行』では、無名の職人が作った日用品に宿る美に目を向け、その価値を記録し、後世に伝えようと尽力しました。

 

 その中の一編『思い出す職人(亡き一職人のために)』では、秋田の無名の職人が日用品として作った、「五徳(ごとく)」に美を見出した際のいきさつが綴られています。

 (注)「五徳」とは、火鉢の上に鉄瓶などを置くための道具で、金属または陶器製。三本(または四本)足の輪の形をしており、足を灰に差して据えます)。

 

 その五徳を作った職人は、自分が作っているものが、それほど価値ある物だとは夢にも思っておらず、自分自身の仕事をごく平凡なものとしか考えていなかったはずです。周囲の人もその作物の価値は元より、彼の存在にさえ気附く者もほとんどいなかった人でした。この人は無名のまま亡くなってしまうのですが、柳はその無名の職人に心を寄せ、同様の運命にある名もなき職人たちへの想いを込めて、次のように記しています。

 

<以下、引用~>

【秋田の人といえども、彼の存在に気附く者はほとんどいなかったであろう。否、近くに住む人たちといえども、彼の死をろくに痛みはしなかったであろう。ましてその仕事を想い起しはしないであろう。彼は永(とこしえ)に暗(やみ)から暗(やみ)に葬られてゆく無銘の一職人に過ぎないのである。

(中略)

彼のことを想い、同じような運命の無数の名もない職人たちのことを想う。彼に対してのみではない。私は正しい仕事を遺(のこ)してくれる凡ての職人たちの味方でありたい。そうであることが私の使命の一つではないか。】

<~引用、ここまで>

 

 最後に『わすれ雪』の話に戻りますが、この歌も、歌ブログ『エムズの片割れ』で取り上げられなければ、おそらく「五徳」を作った無名の職人の作品と同じように、世に知られることなく、静かに忘れられていったのかもしれません。

 

現代はネットやブログといった発信手段によって、隠れた才能が世に出やすい、かつてないほど恵まれた時代とも言えそうです。名もなき者の手による、小さな光のような作品が、誰かの心にそっと灯る。そのための小さな窓が、私たち一人ひとりの手の中にあるのかもしれません。

 

<<参考文献>> 岩波文庫『柳宗悦民藝紀行』水尾比呂志 編


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