軽快でリズミカルながら、どこか懐かしく、哀愁がにじむ、・・・ そんな曲調が印象的な『サーカスの唄』は、戦前を代表する日本歌謡の名曲の一つです。この歌は、昭和8年(1933年)に来日した、ドイツのハーゲンベック・サーカスの宣伝のために制作された、と言われています。
とはいえ、歌詞の描写から受ける印象は、華やかな西洋のサーカスというよりも、どこか陰影を帯びた、旅回りの日本の軽業団を彷彿とさせます。
うら寂しさを含んだその雰囲気が、むしろ歌の魅力を一層引き立てているように感じます。
日本のサーカスは、明治時代に馬上での曲乗り(曲馬)や軽業を組み合わせた見世物興行として始まりました。やがて曲馬・軽業・動物芸などを総合した演目を持つ団体が現れ、本格的なサーカスとして発展していきます。
最盛期には30以上のサーカス団が全国を巡業していたようですが、現在では「木下」「キグレ」「柿沼」の3団体を残すのみとなっています。
なかでも木下大サーカスは、今なお全国で定期的な興行を続ける大所帯で、私も何度か観覧したことがあります。印象深い演目のひとつは、直径7~8メートルほどの金属製の球体内を、数台のオートバイが猛スピードで駆け巡る「スフィア・オブ・デス」という出し物です。音と振動、そして緊張感が会場全体を包み込む、圧巻のパフォーマンスでした。
ただ、閉ざされたテント内でエンジン全開のバイクが何台も走り回るわけですから、排気ガスの充満も相当なものでした。環境意識が高まった今の時代においても、あの演目は変わらず続いているのでしょうか。少し気になるところです。
さて、この『サーカスの唄』は明るいテンポの中に、何ともいえない詩情と哀感が同居しています。歌詞に描かれる旅芸人の姿と、現代の会社勤めの人達とは、まったく異なる世界ですが、不思議と私たちの心にも深く響いてきます。これは何故なのでしょう。
この点について、ある方がリンク先のコメント欄に、次のような趣旨のことを書かれています。
<引用、ここから>
しかし考えてみれば、私たちとて、時にさまざまな人間模様と交錯し、忘れがたい出会いや別れを経験します。なにしろ誰もが、諸行無常のこの現し世を旅する旅人なのです。
その意味で、私たちもまた、昔日のサーカスの旅芸人とそれほど違いはないのかもしれません。人間であることの、普遍的な哀しさ――それこそが、この歌を時代を超えて愛される名曲たらしめているのだと思います。
<引用、ここまで>
まさにその通りだと、私も深く共感しました。どんな時代、どんな生活にも浮き沈みがあり、人生の哀歓は誰にとっても避けがたいものです。
この歌が生まれた昭和初期、人々の多くは生まれ育った土地に縛られ続け、そこで一生を終える人が大半だったようです。とりわけ地方では、季節の移ろい以外に大きな変化のない、日常生活の繰り返しでした。
そういった変化のない生活にあって、稀(まれ)に来るサーカス団や旅芸人による興行は、町をあげての一大イベントだったに違いありません。
非日常のきらめきをもたらしてくれる彼らの姿に、ひそかな憧れをもって見ていた人もいたことでしょう。
『サーカスの唄』をあらためて聴くとき、そうした時代背景や当時の人々の心情に思いを馳せてみると、このノスタルジックな曲の哀愁や詩情が、いっそう深く胸に染みわたってくるように思います。
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