『風の盆恋歌』は、越中八尾(やつお)で三百年の歴史を誇る伝統行事「おわら風の盆」を背景にした楽曲です。石川さゆりの歌唱により、多くの人の心を捉え、ヒットしました。
同じく「おわら風の盆」をテーマに、まったく同時期(1989年)に発表されたのが、菅原洋一が歌った『風の盆』で、興味深いことに、両曲とも作詞は“なかにし礼”です。
同じ作詞者なのですが、菅原洋一『風の盆』の方は、伝統の踊り行事そのものに焦点を当てているのに対し、『風の盆恋唄』は、高橋治のベストセラー小説『風の盆恋歌』の内容をモチーフとしたものになっています。
雰囲気や内容は異なりながらも、どちらも深い情緒をたたえた名曲です。
「おわら風の盆」は、毎年9月1日から3日間にわたり開催される、越中八尾の代表的な行事です。哀調を帯びた「おわら節」の旋律に合わせて、町衆たちが無言のまま、坂の多い町中を静かに踊り歩きます。その様は、単なる盆踊りの域を超え、「気品」という言葉がふさわしい、幽玄な世界を感じさせます。
かつては、近隣の人たちしか知らないローカルな行事だったのが、高橋治の小説『風の盆恋歌』と、石川さゆりの楽曲ヒットをきっかけに全国的に知られるようになりました。観光客が増えた一方で、祭り本来の素朴で静寂な雰囲気が失われていったとも言われています。
にぎやかで華やかな現代の祭りとは一線を画すこの「風の盆」には、失われつつある“原風景”への郷愁が息づいています。そもそも、盆踊りの原形は祖霊供養に由来するもので、明るく陽気な現代の盆踊りとは異なり、もともとは静かで神聖な営みでした。
この“原形”に近い盆踊りの光景を、明治の日本を訪れた外国人、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が記録しています。1890年(明治23年)8月、彼は山陰地方を訪れた際、鳥取県西伯郡逢坂村の上市で盆踊りを見学し、その体験を『日本の面影』という随筆に書き残しています。(リンク先は、その盆踊りの様子を詳しく描写したもので、名文として知られています)
この中でハーンはこう記しています。
【それは、筆舌に尽くしがたい、想像を絶した、何か夢幻の世界にいるような踊りであった―――まさに、驚嘆の舞いといってよかった。・・・】
ハーンは、言葉や文化風習の違いがあっても、良きもの、魅力あるものは必ず琴線に触れ共振するものがあると書いています。
明治時代の中期に、来日して間もない西洋人(ハーン)が、日本の片田舎でひっそりと行われていた「盆踊り」を見て、ここまで深く、この踊りの本質を理解していたことに驚かされます。特に最後の方(上記リンク先ページ参照)に書かれている、盆踊りが遥か昔の祖先の霊へ繋がるという一節など、日本人でもここまで深く洞察できる人は、中々いないでしょう。
ハーンが見た明治の盆踊りの情景と、菅原洋一の『風の盆』の哀調あるメロディが、私の中で重なります。静寂な石畳の道に”ぼんぼり”が連なり、編み笠を深くかぶった踊り手が、胡弓の音に身を委ねて静かに舞う。そんな光景が心に浮かびます。
おそらく本来の「おわら風の盆」も、ハーンが見た踊りと同様、幻想的で深い情感に包まれたものだったのでしょう。今ではその趣が薄れつつあるとしても、なお多くの人々が「おわら風の盆」に惹かれるのは、かつての日本が大切にしていた、“静かなる祈り”のような盆踊りの原風景を、心のどこかで求めているからなのかもしれません。
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