2025-06-29

ヴェルニゲローデ少年少女合唱団の『昨夜見た夢』(“夢”という不思議な現象)

ヴェルニゲローデ少年少女合唱団の『昨夜見た夢』(リンク)

 ドイツで古くから伝わる有名な民謡『昨夜見た夢』は、日本では1971年、TBSのテレビドラマ「木下恵介・人間の歌シリーズ『冬の雲』」の主題歌に採用され、広く知られるようになりました。その静かな旋律と切ない歌詞は、今なお多くの人の心に深く残っています。


 そのテレビドラマ主題歌の原曲がこの歌です。遠方に旅立った恋人や夫、あるいは息子の無事を案じる女性の気持ちを歌ったものと考えられます。

 背景として思い浮かぶのは、19世紀以前からドイツに存在した職人制度「マイスター」です。親方になるためには各地を巡って修業を積まねばならず、長い間、遠く離れた地で暮らす恋人や息子を想う女性が、歌に心を託したのかもしれません。


 或いは、いつの時代にもあった戦争で、遠い土地へ出征している兵士の無事を願う、恋人或いは母親の祈るような気持ちが歌われているとも受け取れます。歌詞全体には深い比喩や暗喩が散りばめられており、最後の数行には最愛の人の死を予感させるような、陰りも漂っています。


 さて、この歌の主題にもなっている「夢」とは、一体何なのでしょう。

ここからは、少し話題を広げ、「夢」という現象そのものについて考えてみたいと思います。


 夢の正体は、現代の脳科学においても未解明な部分が多く残されています。私自身の体験から言うと、夢の中に出てくる光景や出来事は、実際に見聞きしたものが形を変えて現れることが多いように思います。まったく見たこともない未知の世界が夢に現れる、ということは余りありません。


 また、目が覚めた直後には「夢を見た」という感覚があっても、ほんの数秒後には内容が霧のように消え去ってしまう――そんな経験をされた方も多いのではないでしょうか。

 ときに、非常に疲れた状態で眠りについた後、強烈に印象的な夢を見ることがあります。しかしそれらも、断片的で不快な内容が多く、明確なストーリー性があるものは稀です。


 一方で、「正夢(まさゆめ)」や「予知夢」と呼ばれる、不思議な現象の存在も知られています。信じがたい話も多いため、慎重に受け止めるべきではありますが、実際に体験したと語る人も少なくありません。


 たとえば、タイタニック号沈没の約1か月前に、あるイギリス人実業家が「その船が沈没する夢」を2日続けて見て、乗船をキャンセルして命拾いしたという逸話があります。沈没事件が起きる相当前から、その夢の具体的な内容を周囲に話していたとされ、信憑性があるとも言われています。


 また、夢には「明晰夢(めいせきむ)」というものもあります。これは夢の中で「これは夢だ」と気づきながら、なおも夢を見続けている状態のことです。レム睡眠中、目覚める直前に起こりやすいとされ、私自身も数回経験があります。夢だと理解しているにもかかわらず、まるで現実のような感覚が伴うのが特徴です。


 これに似たものとして、「白昼夢」という言葉もあります。白昼夢は、起きている状態で空想にふけり、現実との境界が曖昧になるような心の状態を指します。この白昼夢に近い感覚を、夏目漱石が小説『坑夫』の中で見事に描写しています。


【明かな外界を明かなりと感受するほどの能力は持ちながら、これは実感であると自覚するほど作用が鋭くなかったため――この真直な道、この真直な軒を、事実に等しい明かな夢と見たのである。】

 ⇒(参照)夏目漱石『坑夫』白昼夢的な症状を記述した部分へリンク

 まさに現実と夢の狭間にいるような、不思議な感覚を言葉で捉えているこの描写は、さすが漱石と感じさせられます。


 夢は、言うまでもなく脳の働きの一部です。しかし、この脳という器官には、未だに多くの謎が残されています。ある説では、人間の脳には誰しも「天才的な能力」が眠っているとされ、それを何らかのメカニズム(特に左脳の働き)が意図的に抑制しているのではないか、と言われています。


 NHKで放送されたドキュメンタリー『フロンティア あなたの中に眠る天才脳』では、特定分野で突出した能力を持つ人々が紹介されました。


・一度見ただけの風景を、超精密な絵として再現できる人

・難解な楽曲を、一度聴いただけでマスターする少年

・左脳の損傷をきっかけに、それまで全く縁がなかった音楽(作曲)の

 才能を、突然開花させた人

・円周率を2万桁以上、暗唱できる記憶力の持ち主

・世界一難しい「アイスランド語」を1週間で習得し、現地人と普通に

 会話した人

・見るもの全てが、フラクタル構造(一部分が全体と相似になっている

 構造に見え、それを数式化できる人


 こうした人々は「サヴァン症候群」と呼ばれ、右脳の働きが際立ち、しばしば自閉傾向を伴うという特徴があるそうです。生まれつき、左脳による抑制が弱い場合を「先天性サヴァン」、事故などで抑制が外れた場合を「後天性サヴァン」と区別する学説もあります。


 誰もが知っている弘法大師、すなわち空海は、密教の「虚空蔵求聞持聡明法」と呼ばれる秘法を習得して以降、一度見聞きしたことは決して忘れることがなかったと、伝わっています。


 これは、誇張された伝承話のようにも受け取れますが、一方、左脳の抑制力が何らかの方法で外れ、本来備わっていた空海の右脳能力がフルに発揮されるようになった結果(後天性サヴァン)だとも考えられます。

 こういう観点から捉え直してみると、今に伝わる空海の超人的能力というのは、意外に真実性のある話なのかもしれないと、思えてきます。


 なぜ私たちの脳では、本来備わっている天才的な能力が“封印”されているのか。そこには、今の私達には計り知れない、深遠な理由があるのでしょうか。ある意味、夢もまた、その封印された領域の“ゆらぎ”として現れる現象なのかもしれません。


 話が「夢の実体」から「脳の可能性」まで、随分と広がってしまいましたが、全ては『昨夜見た夢』という一曲から始まりました。

 そして何よりも、この曲を歌う「ヴェルニゲローデ少年少女合唱団」の澄んだ美しい歌声が、歌詞に込められた思いをより一層引き立てています。


 無名の作詞者・作曲者によるこの民謡は、18世紀末には旋律が確認され、19世紀初頭のドイツ民謡集には「暗い夢」という題で収録されています。

 遠く離れた人の無事を祈る気持ち──それは時代がどれほど変わろうとも、人の心の奥底に普遍的に流れているものなのかもしれません。


<<参考資料>>

・船津健氏のブログ記事より『夜中見た夢』に関する記述(歌の解釈)を、

 一部引用しています。


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