今回ご紹介する2曲は、「チャペル」というキーワードで結ばれた、愛と人生への応援歌です。“チャペル(礼拝堂)”は、一般的な日本人にとって、非日常的な存在でありながら、西洋への憧れ感が強かった昭和中期の若者にとって、象徴的な場所でした。
■チャペルの鐘
1952年(昭和27年)、NHKラジオ歌謡として放送されたこの曲は、『さくら貝の歌』『あざみの歌』などで知られる八洲秀章の作曲によるものです。静謐な旋律に乗せて、淡く繊細な恋の情景が、静かに謳われています。
清々しく、澄んだ空気を感じさせるこのメロディは、日本抒情歌の中でも屈指の名曲といえるのではないでしょうか。
日本において“チャペル”や“教会”は、ヨーロッパのように日常生活に溶け込んでいるわけではなく、多くの人にとっては結婚式など特別な場面でのみ接するものです。
そのため、この歌のタイトルに「チャペル」という言葉が使われていることに、やや違和感を覚える方がおられるかもしれません。しかし、昭和初期から中期にかけては、西洋文化への憧れが社会全体に広がっていた時代でした。
結婚式も教会で挙げる“洋風スタイル”が人気を集め、“チャペル”という言葉は、ロマンチックで高貴な響きをもって、多くの歌謡曲に登場しました。
リンク先の解説では、この歌について、【惹かれ合っていることを感じながらも、思いを告げぬまま別れてしまう若い男女の心を描いている】とあります。まさに「純愛」と呼ぶにふさわしい、淡く切ない愛のかたちです。
しかし、当時この歌が大ヒットしたというわけではありません。それは、歌詞の抒情性が強すぎて、その頃の歌謡界の風潮から外れていた、からかもしれません。
今では、ラジオやテレビで耳にする機会もほとんど無くなっていますが、静かに聴いていると、その美しい旋律が心に深く染み込んできます。
■もう一つの「チャペル」の歌 ―『チャペルに続く白い道』
1964年(昭和39年)にリリースされたこの曲は、西郷輝彦の代表曲の一つで、軽快なリズムと明るいメロディが印象的な歌です。
歌詞のテーマは、まさに教会での結婚式。しかし、初めてこの曲を聴いたとき、私はどこかその歌詞に違和感を覚えました。歌詞が描く光景と、当時の世相とのズレのようなものを感じたのです。
ところが、ある方がコメント欄に寄せた一文に触れて、目が開かれました。そのコメントでは、【この歌の中の二人はどちらも戦災孤児で、同じ教会の孤児院育ちだったのではないか】と推測されています。
確かに、そう考えると歌詞の背景が一気に浮かび上がってきます。それまで、何となく虚構のように感じていた、歌詞中に使われている言葉の一つ一つが、一挙に現実味を帯びて胸に響いてきたのです。
この歌がリリースされたのは、戦後から20年ほど経った昭和39年で、終戦時に4~5歳だった戦災孤児も、その頃は、ちょうど結婚適齢期になっています。戦後、教会は孤児の保護という役割を担うことが多く、孤児院を運営することも少なくなかったようです。特に戦災孤児の増加に伴い、教会が中心となって孤児の保護活動を行った事例が多く見られています。
そうした背景を念頭に、改めてこの歌詞を読んでみると、3番の冒頭に書かれている、
【暗く貧しい すぎた日も 心の中は いつの日も
明るくすんだ 鐘の音に 明日の幸せ 夢みてた・・・】
という一節が、そんな二人の過去を、静かに物語っているように感じられました。
『チャペルの鐘』と『チャペルに続く白い道』。どちらも「チャペル」というキーワードで結ばれた、愛と人生への応援歌です。
静かで重厚な前者、軽快で明るい後者――対照的な曲調ながら、どちらも真摯な人生観を歌い上げています。
時代が進み、歌に込められた背景が忘れられがちな今だからこそ、もう一度耳を傾けてみたい名曲です。歌詞に込められた想いと、当時の人々の人生模様を静かに想像しながら聴いていると、その美しいメロディが、心の中に染み渡っていくようです。
<<参考資料>>
・「チャペルに続く白い道」
リンク先内のコメント(2021年12月 芳勝様の投稿)
基は、「遊星王子の青春賛歌つれづれ」コラム記事
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