昭和中期のアクション映画では、映画と同時にその主題歌が作られるか、ヒットした映画に合わせた歌を後から作っていました。しかし、この歌に関しては逆のパターンで、ヒットしたこの歌を下敷きにして、後から同名の映画が制作されたようです。
歌詞には「秋の小島で砂山の砂を指で掘っていたら、真っ赤に錆びたジャックナイフが出て来た」という、現実では中々起こり得ない場面が描かれています。実はこの歌詞には元歌があり、石川啄木『一握の砂』に収録された、下記三行詩が下敷きになっていたようです。
【いたく錆びしピストル出でぬ 砂山の 砂を指もて掘りてありしに】
作詞した萩原四朗は奈良県の山間部、宇陀郡出身ですが、学生時代は四国の高松で過ごしていたようですから、この歌詞に出てくる島は、瀬戸内海の小島をイメージしていたのでしょう。「胸にじんとくる 小島の秋だ」という一節がありますが、聴いていると確かに、静かな秋の小島の雰囲気を感じさせます。哀愁を帯びた旋律が深く心に残る歌です。
砂山から出てきたジャックナイフというのは折りたたみ式ナイフのことです。私が小学生の頃は、「肥後守」という折りたたみ式ナイフを筆箱に入れ、学校へ持って行くのが普通でした。鉛筆削り用でしたが、それが持ち込み禁止になることもなく、今振り返れば、子どもたちにとっては、拘束が少なく自由度の高い時代だったように思います。
「小島の砂山で錆びたジャックナイフを見つけた」というシチュエーションは、少し唐突な感じがします。ただ、ジャックナイフが砂山から出てくるという非日常的な場面から、ふと私の脳裏をよぎったのは、同じように「埋もれていたものを掘り出す」という構図を持った、あの考古学界を揺るがせた事件のことでした。 以下の話は少し横道にそれますが、この事件は、当時テレビや新聞などマスコミにも大きく取り上げられていましたので、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
その事件とは、東北地方で旧石器時代の遺物(石器)や遺跡とされていたものが、実は、それらの発掘調査に携わっていたアマチュア考古学研究家が、事前に埋設しておいた捏造であったことが発覚した事件です。つまり、自分が前もって埋めておいた石器を、自ら掘り出すことで発見したように見せていた自作自演の捏造だった訳です。
犯人のアマチュア研究家は、当時「神の手」と呼ばれるほど称賛されていましたが、何故数十年にわたって発覚しなかったのか。実は一部の考古学者は早くから、彼の「発見」に疑問を呈していました。冷静にそれらの石器や出土状況を観察してみると、火砕流の中から出土するなど不可解で不自然な遺物だったり、中には数十キロも離れた遺跡から発見された石器の切断面が偶然一致した、というような信じがたい発見もあったようです。
しかし、当の研究グループは都合のいい解釈を当てる事でそれらの疑問を無視し続けていました。また、こうした考古学的大発見を町興しや観光につなげたい地元関係者が大歓迎している中で、疑義を唱える事すら憚られる雰囲気が醸成されていたようです。考古学界自体も、捏造発覚以前の25年間、批判した学者や研究者を排斥したり圧力を加える事によって、捏造批判の声が噴出する気運を押さえつけていました。
もう一つ、これに似た事件として思い浮かぶのは、今から10年ほど前に、理化学研究所のチームがSTAP細胞を発表した時の様相です。当初、小保方晴子さんが研究チームリーダーとして大変な脚光を浴びていました。再生医療の分野で大きな期待を集めましたが、後に論文のデータ改ざんや不正が発覚し、この論文は撤回されています。発覚後は手の平返しで、研究チームやリーダーの小保方さんは猛烈な批判を浴びることになります。
こうした事件を振り返った時に痛感するのは、世の中のムードや雰囲気に反した意見を、その時点で冷静に受け入れてもらう事が、いかに難しいかということです。両事件とも未だSNSなどが浸透していなかった時代なので、今では環境が変わっていますが、今後もこうした類似の事件が起こる可能性は、十分あり得るような気がします。
『錆びたナイフ』の歌から話が飛び過ぎました。
この時代に、石原裕次郎が歌って大ヒットした他の歌に、ムード歌謡の代表曲のような、『俺は待ってるぜ』という曲がありました。
この歌の方が、『錆びたナイフ』より半年ほど早く発売されています。作詞者は異なりますが、作曲はどちらも上原賢六で、哀愁を帯びた旋律が心に残ります。この歌は、音程の幅が小さくて歌いやすいので、今でもカラオケで歌う人も多いようです。
ところで、この歌のコメント欄に、2012年11月23日「音乃」というハンドル名で投稿された人のエピソードは面白いですね。石原裕次郎のファンだという理由だけで、父親から不良扱いされた娘さんがいたようです。当時の世相や空気感が垣間見えます。
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