2025-07-19

いつか見た青い空(自分自身を俯瞰して見ることの大切さ)

 いつか見た青い空(リンク)

  1970年代に活動していたフォークグループ「伝書鳩」は、『四季の歌』の作詞・作曲で知られる荒木とよひさを中心に結成されたグループです。彼らの代表曲には『目覚めた時には晴れていた』や『春暦』など、ささやかなヒットとなった作品もありますが、この『いつか見た青い空』は、美しい歌詞とメロディに満ちた名曲でありながら、あまり知られていないのが実に惜しまれます。


 グループ名である「伝書鳩」という言葉自体、今では懐かしく感じられます。メールやLINEが主流の現代においては、まさに死語となりつつありますが、紀元前5,000年のシュメールの粘土板にも記録があるように、はるか昔から人々の重要な通信手段として使われてきました。現在でも鳩レースは行われていますが、1,000kmを超える長距離レースでは帰還率が1割ほどとも言われ、無事に戻ってきた鳩を迎える飼い主の喜びはひとしおでしょう。


 鳩ではありませんが、私も昔「手乗り文鳥」を飼っていたことがあります。籠の入り口は常に開けたままにしていたので、家の中を自由に飛び回っては、夜になると自分の巣へと戻って眠っていました。その様子が今も心に残っています。


 さて、この『いつか見た青い空』では「青い空」がモチーフとなっています。青空は日常的に目にする風景であるはずなのに、働き盛りの頃の私は、それをじっくり見上げることは案外少なかったように思います。


 数年前、私は白内障の手術を受けました。手術から数日後に眼帯を外しましたが、その日は快晴で手術後に初めて見た空の色に驚かされました。空の青さや雲の白さが、まるで初めて出会ったように感じられたのです。特に「白色」の鮮やかさには心を打たれました。「これまで白だと思っていた色は、本当の白ではなかったのだ」と、視覚がまるで新しくなったような感覚でした。


 私の場合、両目を1週間あけて順に手術したため、手術済みの目とまだ手術前の目で、同じ景色を交互に見ることができました。手術前の目で見える白は、灰色がかってくすんで見えたのに対し、手術後の目では、くっきりと澄みきった白が目の前に広がり、その差はまさに歴然としていました。


 白内障というのは、目の中の水晶体そのものが濁っているため、眼鏡ではどうにもなりません。世界を常にその濁ったレンズ越しに見ていたのだと、その時にようやく気付かされました。だからこそ、手術後に見る本当の白に、多くの人が感動するのだと思います。


 こうした経験は、視覚だけにとどまらず、私たちの日常や考え方にも当てはまるように感じます。自分では「これが正しい」と信じていたことが、あるとき別の視点から見ることで、まったく違った意味を持っていると気づかされることがあります。「自分のことは自分が一番わかっている」と思っていても、実際には視野が狭くなっていて、大切なことを見落としていた、というのはよくある話です。


 室町時代初期、能楽の大家・世阿弥が著した『花鏡』という書物の中には、『離見の見(りけんのけん)』という大切な教えが説かれています。

   【舞に、目前心後(もくぜんしんご)という事あり、
      「目を前に見て、心を後に置け」となり】


 つまり、舞を演じている自分は、目前や左右は見ることができても、自分の後ろ姿までは見えません。いわゆる「我見」の限界です。そこで世阿弥は、観客の視点になりきって、舞台上の自分を外から見るようにせよ――すなわち、「離見」、他者の目から自分を観よ、と教えています。


 最近言われている”メタ認知”と同じように、ここでは視点移動の重要性を説いています。言い換えれば「自分自身を俯瞰して見よ」ということです。そしてこれは、現代の日常生活にも深く通じる教訓だと思います。

 青空はいつも私たちの頭上にあります。しかし、それを本当の意味で見つめるには、立ち止まり自分を見直す静かな時間が必要なのかもしれません。


『いつか見た青い空』の歌が胸に染みるのは、きっとそのことをそっと思い出させてくれるからなのでしょう。


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