2025-07-19

うるわしの虹(”見えない美しさ”を、静かに伝えてくれる歌)

  うるわしの虹(リンク)

この『うるわしの虹』という歌は、今ではほとんど耳にする機会がありません。古い歌が好きな人達にさえ、あまり知られていない曲ですが、哀愁を帯び、心の奥に深く染みわたる名曲だと思います。淡く切ない旋律にのせて、消えゆく夢や淡い恋心を静かに歌い上げています。昭和の空気を感じさせる、控えめで優しい旋律が印象的です。 

 

 歌詞冒頭に出てくる「ねむ(合歓)」はマメ科の高木で、暗くなると葉を閉じて眠ったように見えるため、合歓の木と呼ばれるようです。合歓の木と言えば、今の上皇后(美智子さま)が高校生時代に作られた詩『ねむの木の子守歌』はよく知られています。この子守歌の舞台になった、ご実家旧正田邸の跡地は、今「ねむの木の庭」と名付けられ区の公園になっています。

 

 私は東京での単身赴任時代、休日は暇に任せてあちこちうろつき回ることが多かったのですが、この旧正田邸跡地の公園も訪れたことがありました。目黒の方から歩いて行った記憶がありますが、閑静な住宅街の中にある、こじんまりした小公園でした。意外に狭く感じたのですが、公園にあった解説板(案内板)によれば、正田邸そのものはもっと広かったようで、今はその一部が公園になっているということでした。

 

 ところで、この歌と同じように、表題の「うるわし」という言葉自体も、今ではほとんど使われることがありません。「美しい」と似たような言葉のようですが、両者には微妙な違いが感じられます。辞書によると、「美しい」は、かわいい、愛すべきだ、の意を表し、「麗(うるわ)しい」は、整った、端正な美を表します。


「美しい」が「きれいだ」となるのに対し、「麗しい」は「りっぱだ」に近づく、となっています。表面的な美しさだけでなく、より本質的な美を讃える言葉のように感じられます。

 

表題曲の歌詞で、「うるわしい」対象となっているのは『虹』ですが、これは直接的に表現されているのが虹というだけであり、作詞者が本当に麗しく感じていたのは、淡い恋心を抱いていた憧れの人のこと、だったと思われます。歌詞の中では単に「君」としか書かれていませんが、おそらく、その人は周りが感銘を受けるほど、精神的にも豊かで気高い美しさを持った女性だったのでしょう。歌詞ではその人を「虹」に擬人化して讃えているように感じられます。


しかし、たったこれだけの短い歌詞でありながら、実に端的に作者の心の奥の想いが深く伝わってくることに驚かされます。

1番:  虹あざやかに 虹あざやかに 七色の夢を たたえて

2番:  虹うすれゆく 虹うすれゆく 七色の夢を 残して

3番:  虹きゆるとも 虹きゆるとも 七色の夢を 忘れじ 


このような歌詞の一節から、この歌の背景や物語の展開を想像してみましょう。この歌の主人公が憧れていた相手の人は、七色の輝きを放つ虹のような麗しい人でありながら、実際には遠い存在でした。その歌声を聴ける間柄ではあったものの、その後深く関わることもなく、その人は虹のように消えていった、と想像を巡らすことができそうです。

 

「行間を読む」という言葉があります。表題曲の歌詞でもそうですが、その中に直接的に書かれている言葉だけでなく、書かれてはいないけれど、作者が本当に表現したかったことを、読み取るということが大事だと思います。名画と言われるものにも、その場の「空気」をひしひしと感じさせるものがあります。風景や人物、静物など対象物が何であっても、本当の名画として昔から伝わっている絵には、描かれている対象物だけでなく、その周りの大気や空気感が感じとれます。

 

何事も一番大事なものは、直接的には見えません。この「見えないものをみる」という感性が、これからはより重要になってくると思います。今の世の中では、ほぼ全ての物がデータ化され、数値化されています。ほとんどの人はデータにできるたくさんの指標のみを後生大事に見ています。


しかし、世の中にはデータに換算できない大切なこともいっぱいあります。一人一人の人生にも、データに換算できない、見えないものをみる力が求められているはずです。このような「行間を読む力」は、現代においてますます重要になってきています。

 

データや数値ばかりが重視される今の世の中で、データに換算できない代表格が「美意識」だと思いますが、改めて『美とは何か』、という事を突き詰めて考えてみると、非常に難しい概念であることに気づかされます。


世間で「美しい」と讃えられているものを見ると、それは単に有名なもの、値段が高いものである事が多いようです。皆が「美しい」と言っているので、自分では感じていなくても「美しい」と思い込んでしまう場合も少なくありません。


あまり有名でないものや、ほかの人達が見向きもしないものに対して、「私はこれが美しいと思う」と胸を張って言える人は、多くはないように思います。自分の判断に自信が持てず、「美」という抽象的な概念についても、周りの意見に流されやすくなっているからでしょう。

 

本当にいいものと、そうでないもの。本当に美しいものと、そうでないもの。これらをどのように判断していくのか。そこには評価する人の全人格が問われることになります。物だけでなく、人の評価も含めて、見た目の美しさだけではなく、その中身の美しさを見抜く目を養う事は、非常に難しいことです。


しかし、こうした真贋力の有り無しは、その人の一生を左右することになるはずです。『うるわしの虹』は、そんな「見えない美しさ」を静かに、けれど確かに伝えてくれる歌なのかもしれません。

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