表題曲はかって、春の選抜高校野球の大会歌として演奏されていた楽曲です。第11回大会(昭和9年)~第64回大会(平成4年)にかけて使われていましたが、今は別の曲(谷村新司作曲の歌『今ありて』)に変わっています。
夏の全国高校野球選手権大会で、現在も使われている『栄冠は君に輝く(作曲:古関裕而)』に比べ、知名度はかなり劣りますが、音楽としては夏の大会歌に負けじ劣らず、素晴らしい名曲だと思っています。
作曲は、公式には旧陸軍戸山学校軍楽隊となっていますが、実際には当時同軍楽隊勤務だった大沼哲という方が作曲されたようです。楽器による演奏だけでなく、『陽は舞い踊る甲子園』という歌詞も付いていて、合唱されることもありました。
作詞は選抜高校野球の主催者・大阪毎日新聞社学芸部部長で、著名な詩人でもあった薄田泣菫(すすきだ きゅうきん)です。作詞当時(昭和9年)の時代背景もあり、歌詞の中に「長棍痛打して」「戦塵あがる」など、今の時代にはそぐわない言葉が含まれています。
このため、戦後はNHKのテレビ中継でも歌詞の字幕スーパーが表示されず、歌としては世間にほとんど浸透しないまま1992年(平成4年)の第64回大会限りで姿を消しました。
しかし決勝戦のオープニングや、決勝戦後の優勝チーム場内行進時には、何時もこのメロディが流されていました。そのため聞き覚えのある人は多いと思います。このように、表題曲『陽は舞い踊る甲子園』は、時代とともに忘れられてしまった大会歌ではありますが、昭和の時代の甲子園にふさわしい荘厳さと叙情性を併せ持っていた名曲でした。ゆったりとした序奏があり、徐々に盛り上がっていきます。マーチ風の力強さと優雅で美しい旋律が印象的で、今改めて聴くと懐かしさがこみ上げてきます。
ところで、数あるスポーツ競技の中でも野球(Baseball)というのは、特異なスポーツのように思います。一般的にスポーツ競技は、個人競技と団体競技に大別されます。陸上競技や水泳競技、及び柔道やレスリングなどの格闘技は、個人と個人が競う個人競技になります。
一方、サッカーやバスケットボール、バレーボールなどは、チームとして競い合う団体競技に分類されます。この分類に従うと、野球(Baseball)はチームで競うので団体競技の範疇に入ると思いますが、一方で試合中は、常に投手と打者の個人対個人が対決している競技でもあります。常に個人同士が競いながら、全体としてみるとそれがチーム競技(団体競技)になっているという点から、他の競技には無い、特異な構造を持つスポーツだと思える訳です。
他のチームスポーツ、例えばサッカーにもPK(ペナルティーキック)といって、ペナルティーエリア内で守備側が反則した場合に与えられる直接フリーキックの場面があり、この時は確かに、キックする選手とこれを防ぐゴールキーパーの1対1対決の構図になっています。しかし、これは試合全体の中で見ると、競技のごく一場面でしかありません。
逆に個人対個人の対決が主となる柔道にも、団体戦というものが有り、選抜された数名の選手同士が1対1で 戦った結果として、勝った人数の多い方が団体戦の勝利チームになるルールを定めています。しかし、これはあくまで形式上の団体競技であって、実際の競技自体は、やはり1対1の個人競技でしかありません。
これらの他スポーツ競技に比べ、野球では投手と打者が常に1対1で対決している個人競技でありながら、それ自体がチーム競技になっています。考えてみれば実に巧妙で、よく考えられたスポーツ競技であり、昔も今も人気スポーツである理由には、こういった要素が大きいのではないかと思います。
チームとしての戦績も、選手個人の成績もハッキリ数字に残ることもあって、応援する側からすると、チームだけでなく、選手個人への応援もし易くなっています。このように、野球は競技としてのフレームワーク自体が他の競技とは違っていて、良い意味で特異なスポーツだと感じます。
こうした野球の特性を考えていると、ふと、サラリーマン生活との共通点が思い浮かびました。実際、この二つは共通点が多く類似性が高そうです。勝った時(目標をクリアした時)の達成感、負けた時(目標が達成できなかった時)の悔しさ、ポジション毎の役割が明確であること、苦痛もあるが楽しみもあること、上達している時の高揚感、仲間との連携プレイで感じる一体感、チームの一員であることで感じる安心感、指導者に対する信頼感(または失望)、後輩を育てる充足感(或いは苛立ち)、・・・
このように、共通点を挙げていけば枚挙にいとまがありません。また「上達」という観点で考えてみても、「働く」ことと「野球」に共通して言えることがあります。何より、それをすることが「好き」であることが重要になります。好きであれば楽しめるし、苦痛が少ないので長時間続けられる。
そうなるとどんどん習熟していく。習熟すればより気持ちに余裕が出てきて効率的に全てが運ぶので、快適感が増し、それがまた習熟度の向上に繋がるという好循環が生まれます。嫌々やっているとその逆で、いつまで経っても上手くならないので、ますます嫌になるという悪循環が続きます。
スポーツ、特に野球の試合は、サラリーマン生活に似ていて、『人生の縮図』のようにも感じられます。それを傍観者としての気楽な立場から、応援したり批評したりできる点に、見るスポーツとしての人気の根源が有るような気がしています。
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