『さざん花の歌』は、田村しげる・寺尾智沙夫妻による、詩情豊かな名曲の一つです。とりわけ、寺尾智沙さんによる歌詞は、深い味わいを秘めています。リンク先のコメント欄では、この歌への想いを寄せる声が数多く見受けられますが、不思議とこの歌詞の意味について言及している方はおられません。
以下に綴る考察は、根拠のある事実に基づくものでもなく、私自身の推察に過ぎません。事実とは異なるかもしれませんが、自分なりに解釈してみました。
先ず1番で、寒い日の明け方に、庭の垣根に霜が白く降りている様子が描かれ、その後唐突に「母のおもかげ しのばせて」と続きます。この歌詞の表現から、この作者(寺尾智沙さん)の母親は、この作詞時点では既に亡くなっていることが想像できます。
それでは、母はいつ頃亡くなったのでしょうか。その手がかりとなりそうなのが、2番の歌詞です。冒頭に「さざん花はあの時も 咲いていた」と忘れ得ぬ記憶であることを示唆し、続けて「幼い日に落ち葉をたき、その煙にむせて泪した出来事」が描かれます。
この時には母親は未だ存命だったのでしょう。その時、泣いていた幼い智沙さんを母親が慰めてくれたのだと察せられます。それから、程無く母親は亡くなったのかもしれません。
だからこそ、母親が存命だった頃、霜が降りた寒い朝に、母と一緒に落ち葉を焚いていた時の場面、その時の様子が、智沙さんの脳裏に強烈に印象付けられ、記憶の底に残ったのではないでしょうか。
3番の歌詞では、「さざん花は音もなく 散っている」と詠われます。続く「たそがれに 落ち葉を焚けば 流れゆく煙り哀しい 白い花」という表現には、亡き母を想う深い悲しみがにじんでいます。ここで歌われる「さざん花」は、単なる季節の花ではなく、作者自身の追憶の象徴であり、亡き母を擬人化して歌っているように感じられます。
寺尾智沙さんの幼少期の状況を記した資料は少ないのですが、智沙さんが12歳の時、後に夫と成る田村しげると出会った際の記録があります。そこには、画家である父親についての記述はありますが、母親には一切触れられていません。このことから、その時点では既に母を亡くしていた可能性が高いと推測されます。
おそらくは、落ち葉焚きの記憶がかすかに残る4〜5歳頃までに、母は亡くなったのではないか――そう考えるのが自然な流れのように思います。
この歌詞自体には、母親への想いについて述べた直接的な表現は一切ありません。それでいてこの歌詞の背後に、幼い日に亡くした母を想う、作者の深い追悼の念が静かに、そして確かに伝わってきます。
この『さざん花の歌』は現在では知る人も少なくなっている歌ですが、優しく詩情あふれる歌詞に、田村しげる氏による哀切な旋律が美しく調和し、聴く人の胸に深く染み入る名曲だと思っています。
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