折鶴(おりづる)をはじめとする「折り紙」には、日本人の感性が凝縮されている気がします。この歌を耳にすると、子供の頃の記憶がふと蘇り、懐かしさが胸に込み上げてくる――そんな方も少なくないでしょう。特に、幼い頃に折り紙で遊んだ記憶のある方なら、なおさらかもしれません。
1.『折り紙』という不思議な体験
折鶴をはじめとする「折り紙あそび」では、一枚の平らな紙(千代紙)から、三次元の立体物が生まれていきます。その変化を、折る手元を通してリアルタイムに体験あるいは観察できる。日本人にとっては当たり前ですが、よく考えてみればこれは不思議な体験です。
本来の折り紙とは少し違いますが、私は子供の頃、折り紙の要領で新聞紙の紙飛行機を作って飛ばしたり、新聞紙で兜(かぶと)の形を作り、それを頭に被ったりして遊んでいました。
上手な人の、見よう見まねで “折鶴”を折ったこともあったような気がします。ただ、その折り方は今ではすっかり忘れてしまいました。
2.『折鶴』は不思議な感覚がする曲
表題曲は、昭和47年(1972)8月に発売された歌です。当時の一般的な歌謡曲とはどこか趣が異なり、その印象は今も変わりません。感覚的な話になりますが、この歌はジャンル分けが難しい曲だと感じます。
歌謡曲には違いないのですが、いわゆる流行歌的な曲とは微妙に異なり、かといって演歌やフォークでもなく抒情歌とも言えません。
その曖昧さが、かえって情緒の深さや味わいを生んでいる――そんな不思議な感覚がする一曲です。
この『折鶴』は、千葉紘子さんの代表曲になるほどヒットしました。語りかけるような優しい歌声と、にじみ出る人柄が心に響く、昭和の名曲の一つです。
彼女にはこの曲以外にも『宗谷岬』というヒット曲があります。ダ・カーポの歌唱で知っている方が多いと思いますが、実はオリジナルは千葉紘子さんの歌で、私も最近までそのことを知りませんでした。ダ・カーポ版で広く知られるようになったのは、NHK「みんなの歌」に採用された事が大きかったようです。
3.千葉紘子さんの社会貢献と、そのエピソード
ところで、千葉紘子さんは元東京地検特捜部長と結婚されたことで、一時世間の注目を集めました。東京地検特捜部と言えば、大規模な政治汚職摘発の際にマスコミにも度々登場し、その部長はテレビドラマのモデルに成ったこともあります。
結婚相手は、現役の頃ロッキード事件捜査にも関わった著名な検察官で、後に報道番組のコメンテーターとしても知られた人物でしたが、10年ほど前に亡くなっています。
千葉さんは、その相手と知り合う相当前から、全国各地の少年院などを慰問、院生のカウンセリングを行われていました。
保護司、及び矯正協会副会長や東京家庭裁判所家事調停委員にも就任され、長年に渡り非行少年・少女の更生活動に携わっておられました。
更生保護活動の中で出会った少年院の少女たちとのエピソードについては、彼女の著書や講演で語られていますが、厳しさの中にも深い愛情が感じられるものが多くあります。
活動初期、ある女子少年院を訪れた際の話です。最初は心を閉ざし、反抗的な態度をとっていた少女たちが、千葉さんの『折鶴』を聴いた途端、堰を切ったように泣き出したことがあったそうです。
その背景には、少女たちの多くが虐待や家庭崩壊など、過酷な環境で育ち「誰も信じられない」という強い孤独感を抱えていたことがあります。
この歌の中の、【いろんなことがあるけれど それは誰でもそうだけど・・】という歌詞の一節が、彼女たちの言葉にできない辛さを肯定したことで、頑な(かたくな)だった心が解け、その後の面接(カウンセリング)で、初めて自分の過去を話し始めたといいます。
著書の中では、少女たちとの対話で特に重要な “傾聴”についても触れています。ある少女は、大人から説教されることに慣れきっており、面接でも最初は嘘をついたり、黙り込んだりしていたそうです。しかし、千葉さんは一切否定せず、ただじっくりと彼女の話を「聴き」続けました。
少女は後に、「先生(千葉さん)がただ黙って聴いてくれたから、自分はここに居てもいいんだと思えた」と漏らしたそうです。
その時、『更生には、裁くことよりも、まずその子の存在を丸ごと受け止める場所が必要だ』、と確信するようになったと語っています。
彼女の著書『あした、青空―少年院の少女たち』は、少年院の現場で出会った少女たちの葛藤や素顔を、篤志面接委員としての視点から描いたものです。
この本では、芸能界に身を置いていた千葉さんが、少年院という「閉ざされた世界」で、少年少女たちの生々しい苦悩や再生の物語に真っ向から向き合う様子が綴られています。
単なる美談ではなく、「更生がいかに困難で、根気が必要なことか」という現実も包み隠さず書かれています。なお、千葉さんは、こうした矯正教育の現場での更生支援活動を、40年以上にわたり、無報酬のボランティアとして続けてこられたそうです。
4.千羽鶴の思い出
話は少し変わりますが、折鶴といえば、「千羽鶴」を思い浮かべる方も多いでしょう。病気平癒、長寿、平和、あるいは願い事の成就を祈って、多数(通常1000羽)の折り紙を糸でつなげたもので、日本の伝統的な風習の一つです。
この千羽鶴ですが、私が未だ20代前半だった頃、実家に突然「千羽鶴」が送られてきて驚いた事を思い出しました。送り主は、当時海外に長く駐在していた兄でした。
実際に作ったのは兄嫁で、近所に住む現地の方に「折り紙」を教えていて、自然と多くの折鶴が集まったのだそうです。
当時は両親ともに健在で、大きな病気を抱えてもいなかったので、その千羽鶴を見た時、少し奇異な感じがしていました。数年前に兄が亡くなり、その千羽鶴も今はありません。
両親が共に亡くなり、実家を処分した際に、その頃は元気だった兄自身が千羽鶴も片づけたのだと思います。あの千羽鶴を大事に残していれば、もう少し兄の寿命が延ばせていたのだろうか――。今になって、つくづくとそんな事を考えてしまいました。
<<参考音源>>
千葉紘子が歌う『宗谷岬』
<<参考資料>>
毎日新聞社『あした、青空―少年院の少女たち』 千葉紘子 著
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