終戦直後に生まれた抒情歌『あざみの歌』。哀愁を帯びた旋律と深い詩情をたたえたこの名曲は、今もなお多くの人の胸を打ち続けています。
本稿では、歌が生まれた背景や、歌詞に込められた想い、そして “アザミ” という花が象徴するものについて、この名曲の奥行きを味わってみたいと思います。
この歌は、多くの日本の抒情歌の中でも “金字塔” と評される作品です。リンク先サイトに寄せられたコメント数の多さが、その人気と共感の広さを物語っています。それだけ心惹かれ感銘を受けている人が多いということでしょう。
歌詞は、昭和20年(1945)に復員してきた、当時18歳の横井弘が、家族が疎開していた下諏訪・霧ヶ峰八島高原で、アザミの花に、自らが抱いた理想の女性像を重ねて綴ったものと言われます。この短い詩の中に、秘めたる中にも溢れ出てくる一途な想いが、見事に描き尽くされています。
一方、メロディは抒情歌の名匠、八洲秀章が作曲しました。詩情豊かな歌詞と、哀愁を帯びた美しい旋律が溶け合い、聴く者の胸にやさしく、しかし力強く響きます。歌全体が柔らかな陰影で包み込まれ、素朴でありながら心の琴線に触れてくるこの歌に、胸打たれる人が多いのも頷けます。
アザミの花は野山にひっそりと咲いている紅(くれない)色の花です。美しい一方、鋭い棘(トゲ)を持つことから、役に立たない花と思われています。歌詞2番に出てくる、華やかな高嶺の百合と比べて地味な存在ですが、素朴でひたむきに咲いていて、野生の逞しさと清らかさを秘めた、魅力的な花でもあります。
ところで、日本の国花が「菊と桜」であるように、スコットランドでは「アザミの花」を国花としていますが、その背景には次のような逸話が伝わります。
【8世紀から13世紀にかけて、スコットランドはヴァイキング(ノルマン人)の侵攻に苦しんでいた。ある夜、ヴァイキングの兵士たちがスコットランドの城への夜襲を計画し、裸足で音を立てずに近づいていた。
その際、一人の兵士が鋭いトゲのあるアザミを裸足で踏んでしまい、激しい痛みに耐えかねて大声(悲鳴)を上げた。この声によってスコットランド兵は敵の接近に気づき、迎撃して勝利を収めることができた】
このエピソードは、『あざみの歌』に描かれる「孤高の強さ」とも、どこか通じ合うものがあります。普段「役に立たない」と思われていたアザミのトゲが、敵を撃退するきっかけになったという逸話ですが、この話は、「一見すると地味で役に立たないと思われがちな、人や物の中に潜在する”本当の価値”」について語っている、とも受け取れます。
『あざみの歌』の歌詞では、アザミを通して人間の孤独や悲しみ、そしてその中にある強さや一途な想いが表現されています。
特に「山には山の愁いあり」という冒頭の一節は、この歌全体の気配を決定づけ強く印象に残りますが、ここで、「山の愁い」として使われている漢字が “愁い” であって “憂い” ではない点に着目する必要があります。憂愁という言葉もありますが、「憂い」と「愁い」は似たようでいて、ニュアンスが少し異なります。言葉の定義としては、“憂い”は心配ごとや不安・憂鬱を示し、“愁い”は悲しい思いやもの悲しさを言う、となっています。
つまり“憂い”はハッキリした心配事があり、それが原因で暗い気持ちになったり、自分がどうすればよいか分からなくなったりという気分なのに対し、“愁い”は何となく気持ちが晴れないことが多く、何故か自然ともの悲しくなる感覚で、「哀愁」と言い換えることもできます。
この歌が生まれたのは終戦直後です。世の中の価値観が大きく変わり、全ての人が戸惑う中で、作詞した横井弘自身も将来の展望が描けず、漠然と「愁い」のようなものを抱えていたのではないでしょうか。
一方、今の時代を生きる私たちが、この歌を聴いて強い感動を覚えるのは、聴いている人自身も漠然とした不安感、つまり「愁い」のようなものを感じているからでしょう。
それは、若者にとっては不透明な将来への、高齢者にとっては、残された余命を意識した老いへの、「愁い」なのかもしれません。
歌詞3番の最後は、特に感動的な一節です。詩の解釈はある程度、読み手にゆだねられると思いますので、この箇所を自己流に解釈してみます。
いとしき花よ 汝(な)はあざみ
こころの花よ 汝はあざみ
さだめの径(みち)は果てなくも
香れよせめてわが胸に
【私たちの人生は、運命という名の、長く厳しい道がどこまでも続いていく。しかし、せめてこの心の中だけには、アザミの花のような清らかさや、追い求める愛や希望の輝きを失わずに、強く香らせていたい。】
ここには、戦後復興へ向かう時代の微かな光、何かが始まろうとしている予感のようなものも感じられます。
かつては広く知られたこの名曲も、時代の移り変わりとともに、この歌を知らない世代が徐々に増えてきています。また、こうした抒情歌そのものが、時代に合わなくなってきているのかもしれません。それだけ時代が変わったとも言えます
本当の名曲と言われる歌は非常にシンプルです。それでいてイメージが鮮明に浮かび上がり、そして私達の胸の奥に響いてきます。
「山の愁い、海の悲しさ」を感じ取る感性、それが分かる人たちを育むためにも、この名曲が世代を超えて、歌い継がれていくことを願っています。
<<参考音源>>
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