2025-12-05

Kとブルンネンの「何故に二人はここに」と「あの場所から」(昭和歌謡から、明治期に渡米した「武士の娘」の軌跡をたどる)

 「何故に二人はここに」と「あの場所から」(リンク)

   (注)「あの場所から」は、リンク先ページの下の方にあります。


 昭和40年代の歌謡曲には、今では少し不思議な魅力を放つ男女デュオが数多く登場しました。その中でも「Kとブルンネン」や「ヒデとロザンナ」といったグループは、テレビの向こうに広がる “当時の日本が見ていた外国”を、軽やかに、少し憧れが混ざったかたちで伝えてくれました。


 本稿では、昭和歌謡の二つのデュエット曲を手がかりに、そこから見えてくる日本人の異文化観、そして明治期にアメリカで活躍した「武士の娘」杉本鉞子へと視野を広げ、「異文化との距離感」という、時代を超えたテーマを追ってみます。


1.未だ遠かった世界への、静かな憧れ

 昭和40年代は、カラー放送が普及し家庭のテレビが国際色を帯びはじめた頃で、その中に登場したのが、男女の国際デュエット「Kとブルンネン」でした。


 珍しいネーミングですが、“K(ケイ)”は鈴木豊明という日本人男性で、”ブルンネン”はアメリカ・コネチカット州出身の女性でした。本名がクリスタリン・ブルンネンで、デビュー当時は東京のアメリカンスクール在学中だったようです。


 男性の方の ”K”というネーミングの由来については明確に語られていませんが、義理の兄が有名なフォークグループ “六文銭”のリーダー小室等ですので、影響力のあったKOMUROとの繋がりを示す意図で、頭文字のKを使ったのかもしれません。


 このデュエットの実際の活動期間(1969年~1970年)は2年弱と短く、ヒデとロザンナに比べて知名度もそれほど高くはありませんでしたが、この2曲の他にも『恋人たちの舗道』など印象的な作品が残っています。


 特に『あの場所から』は、作詞が山上路夫、作曲が筒美京平という、当時の歌謡界を代表するゴールデンコンビによって生み出されていて、楽曲自体の持つポテンシャルも高かったので、その後、朝倉理恵・柏原よしえ・南沙織によってカバーされています。


 今改めてこの2曲を聴くと、素直で美しいハーモニーが心に響きますが、特に、ブルンネンの透き通った儚げ(はかなげ)な声が印象的です。良い曲に恵まれ、それなりにヒットしていたにも関わらず、その芸能活動は長くは続かず、二人のその後の消息について確かなことは分かっていません。


 だからこそ、このデュエットの曲は、昭和歌謡の中でふっと現れては消える、 "一枚のスナップショットのような存在感" 、を放っているのかもしれません。

 

 「Kとブルンネン」は、メジャーな歌手とは言えませんでしたが、その歌声はなんとなく切なくそれでいて爽やかで、不思議な魅力を持っていました。
 表題の2曲は、一見、刹那的でありながら、どちらも ”青春の香り”を色濃く感じさせる佳曲だったように思います。



2.統計から見る社会の変化

 ブルンネンは日本人の母とアメリカ人の父を持つ、今で言う“ハーフ”の女性でしたが、当時、国際結婚の比率は現在よりずっと低く、海外文化そのものが “遠いもの” として意識されていました。

 外国語を話す人、海外の香りを持つ人は、それだけで特別視され、テレビに出れば強い印象を与えました。


 現在の日本では “ハーフ”、即ち国際結婚の子供の割合が高くなっています。正確な公式統計は存在しませんが、今 “日本で生まれる子供” のおよそ30人に1人(約3.0%~3.5%)がハーフとも言われ、出生数の統計から見ると、現在、20歳以下のハーフの人は、数十万人規模になると推計されています。

 

 今では、スポーツ界でもメディアでも多様なルーツを持つ人々が活躍し、「外国への憧れ」といった感覚は大きく変化しています。確かに、今年(2025年)の夏に東京で開催された世界陸上競技大会でも、日本代表メンバー、それも主力選手の多くがハーフの方だったことからも、その辺が実感されます。


 このデュエットの歌で感じた “遠い国の気配” は、いま思えば、国際化前夜の日本が抱いていた素朴な期待と好奇心の象徴でもあったのかもしれません。こうした視点で当時のデュエットを振り返ると、彼女らが単なる歌手以上の役割を果たしていたことに気づきます。
 日本が「まだ知らない世界」を、歌とともに運んできた存在だったということです。

 

 今は「生まれも育ちも日本」、というハーフや外国人の方が多いので日本の文化に同化していて、生活する中で違和感を覚えることも少なくなっていると思いますが、一昔前では大きな葛藤があったはずです。



3.明治期に異文化と向き合った先駆者「杉本鉞子」

 ブルンネンとは逆の立場になりますが、時代をさかのぼると、明治期の日本にはすでに異文化と向き合った女性の先駆者が存在しました。
 明治時代中期に、日本からアメリカへ渡って長く暮らした杉本鉞子(すぎもとえつこ)です。


 この人は1873年(明治6年)、越後長岡藩の家老の家に生れていますが、戊辰戦争の名残もまだ消えやらぬ頃で、武士の伝統の色濃い家庭の中にあって、「武士の娘」として厳格に育てられています。


 その人生における経験については、著書『武士の娘』で本人が詳しく書き残しています。(下記リンク先には、杉本鉞子やその著書の内容について、少し詳しく書きましたので、興味のある方は御一読下さい。)

【アメリカへ渡った「武士の娘」杉本鉞子】(リンク)

 

 杉本鉞子を「異文化に向き合った日本女性の先駆け」として捉えると、昭和のテレビに現れたブルンネンの姿とも、どこか地続きに感じられます。「Kとブルンネン」の姿は、日本が国際化へ向かって歩み始めた時代の、小さな予兆だったのかもしれません。



4.異文化との距離の変化

 異文化に触れたとき、人は不安と期待の間で揺れながらも、新しい価値を見つけていきます。その普遍的な姿が、時代も立場も異なる二人の女性の背後に浮かび上がります。


 昭和の歌謡界でほんの少し異国の香りを持ち込んだブルンネン。逆に、祖国日本の文化を胸に異国へ飛び込んだ明治の杉本鉞子。その姿には、国境を越えて生きる人に共通する「たくましさ」と「しなやかさ」が宿っています。

 

 国際化が加速する以前、日本にとって「外国」は、少し背伸びをして覗き込むような存在でした。かつて遠かった、その外国との距離は、令和の今ではすっかり近いものになりました。


 それでも、一人ひとりにとっては、初めて触れる異文化の眩しさや、そこに宿る期待と戸惑いは、いつの時代も変わらないのかもしれません。
 歌が映し出した「異文化との出会い」と、明治の女性が歩んだ「新しい世界」。両者を並べて眺めることで、時代を超えた日本人の感性が静かに浮かび上がってくるように思います。


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