自宅からそれほど遠くはない場所に、『寝屋古墳』という6~7世紀頃に造られたとされる古墳があります。誰もが知る有名な古墳というわけではないのですが、直径30m・高さ3mで、この地域(北河内)では大規模とされる古墳です。ただ市内在住者でもその存在を認識している人は少なく、実際に見学に訪れる人は稀です。
自宅からそれほど遠くはない場所に、『寝屋古墳』という6~7世紀頃に造られたとされる古墳があります。誰もが知る有名な古墳というわけではないのですが、直径30m・高さ3mで、この地域(北河内)では大規模とされる古墳です。ただ市内在住者でもその存在を認識している人は少なく、実際に見学に訪れる人は稀です。
『面影』は昭和39年に発表された歌謡曲で、静かで哀愁に満ちた歌です。世間的には決して大ヒットした曲とは言えませんが、歌い手 “三島敏夫” の柔らかく優しい歌声の魅力もあり、数ある昭和歌謡の中でも印象深い一曲になっています。
今回は、この曲のイメージ映像で描かれた情景の考察と共に、歌い手である三島敏夫の特異な経歴から、太平洋戦争の記憶をも辿ってみたいと思います。
終戦直後に生まれた抒情歌『あざみの歌』。哀愁を帯びた旋律と深い詩情をたたえたこの名曲は、今もなお多くの人の胸を打ち続けています。
本稿では、歌が生まれた背景や、歌詞に込められた想い、そして “アザミ” という花が象徴するものについて、この名曲の奥行きを味わってみたいと思います。
今回は、昭和から平成にかけて生まれた2つの “知る人ぞ知る名曲”──大塚博堂の『めぐり逢い紡いで』と、レーモンド松屋の『安芸灘の風』──をご紹介します。どちらも全国的にはあまり知られていませんが、聴く人の心に深く残る作品です。
このブログ記事を読まれている方の中には、ご自身でもブログを開設し、何らかの記事を書かれている方がおられると思います。その場合、ブログとSNSとの “拡散力の差” について疑問に思われた事があるかもしれません。
ブログもX(旧Twitter)やInstagramなどのSNSも、どちらも個人が自由に情報発信できる便利なツールです。しかし、ブログは丁寧に書いた記事でも、そう簡単には人の目に触れません。一方で、SNSで何気なく書いたひとことが、気づけば何万人にも読まれている――。そんな話を耳にすると、少し不思議に思いませんか。
1970年代初頭に大ヒットした『別れのサンバ』。その歌い手・長谷川きよしは、視覚に障害を持ちながらも卓越した音楽性で多くの人を魅了したシンガーソングライターでした。私はその姿から、ふと江戸時代に同じく盲目でありながら不朽の大事業『群書類従』を編纂した国学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)のことを思い出しました。
異なる時代に生きた二人が、音楽と学問という異なる道で光を見出した――、今回はこの二つの物語をたどってみることにします。