2026-02-15

ニコライの鐘(戦争によって断ち切られた青春の、残影を宿した歌)

 ニコライの鐘(リンク)

 神田駿河台の坂を上ると、白亜の聖堂が静かに姿を現します。緑青色のドームを戴くその建物は、東京の街並みの中にありながら、どこか異国の空気を漂わせています。

 JR御茶ノ水駅からほど近い地に建つ、その建物が「ニコライ堂」です。近隣には歌や文学に登場する名所旧跡も多いので、実際に見られたことのある方も多いと思います。



1.困難な時期を乗り越えてきたニコライ堂
 私も、このニコライ堂を見学したことがありますが、その時は聖堂の中で神父のような方から、その成り立ちや歴史的な出来事について丁寧に説明していただきました。
 見学したのは20年ほど前になり、その時の記憶も薄れていますので、今回あらためて「ニコライ堂」や「ニコライの鐘」について、少し調べてみました。

 ニコライ堂の正式名称は「東京復活大聖堂」で、ロシア正教会の大聖堂(*1) です。“東京復活” とは「東京の復活」を指すわけではなく、東京に在る「イエス・キリストの復活を記念する大聖堂」という意味です。

 江戸時代末期に、ロシア正教を布教しようと日本にやってきた大司教カサーツキン・ニコライが、明治24年に建てたことから通称では「ニコライ堂」の名で呼ばれるようになりました。明治の名建築の一つで異国情緒の象徴でもあります。

 しかしその後、日本は日露戦争へと向かいます。敵国ロシアの教会が東京の中心に存在していたという事実は、決して平穏なものではなかったはずです。
 それでも聖堂は守られました。さらに関東大震災、そして第二次世界大戦、という激動の時代が続きましたが、幾多の困難を乗り越え存続してきています。


2.「ニコライの鐘」の歌に投影された時代の重み
 昭和26年、このニコライ堂を舞台にした一曲の歌が世に出ます。それが、藤山一郎の歌った『ニコライの鐘』です。前年に発表された『長崎の鐘』に続く、“鐘”を主題とした楽曲ですが、その響きは戦後という時代そのものを映し出しています。

 旋律からは、その鐘の音が、どこか遠い時代の記憶を呼び覚ますようにも感じられますが、この歌はニコライ堂の周辺を舞台に、戦争によって断ち切られた、若者たちの「青春の残影」を描いたものです。

 実際、ニコライ堂の鐘は戦時中、金属供出のため取り外されました。本来空に向かって鳴るはずだった鐘は、武器へと姿を変え、沈黙を強いられたのです。戦後、昭和21年に再び吊るされ、その音が御茶ノ水の空に戻ってきました。

 この史実を知るとき、昭和26年にこの歌が生まれた意味は、一層重みを帯びます。鐘の響きは、平和の回復を告げる音であると同時に、戦争で失われた命への鎮魂の響きでもあったのです。


3.詩集から現れた「過去の手紙」の意味
 歌詞3番に描かれる「詩集からこぼれ落ちる手紙」という情景は、とりわけ印象的です。頁を開いた瞬間、現れる過去の手紙。そこには、戦争によって途切れた時間が封じ込められています。

 書き手は、もう戻らぬ人かもしれません。文字のかすれや筆圧の跡をたどることは、死者との静かな対話でもあります。

 つまり、「詩集や手紙」は単なる小道具ではなく、“生きたかったけれど生きられなかった若者たちの遺品” としてのニュアンスが、強く込められているのです。

 作詞した “門田ゆたか” は、他の曲でも「ニコライの鐘」を取り上げていますので、ニコライ堂及びその周辺の光景には、余程強い印象があったはずです。

 戦前に、ニコライ堂の近くにある中央大学や明治大学などの学生たちが、詩集を片手に闊歩していた光景が、強く印象に残っていたのではないでしょうか。

 元々ニコライ堂周辺は、学生や文士たちの散策地であり、古書店や喫茶店が軒を連ねる街。そういった所に文学青年達が集うことの多かった土地柄です。その頃の学生にとって、“恋人に詩集を贈る、万年筆で長い手紙を書く、立ち読みした詩集の間に手紙を挟む”、といった行為は、ごく自然な日常でした。

 しかしその日常は、戦争によって断ち切られました。未来を語り合ったはずの青春は、突然終わりを告げたのです。歌詞2番には、『思い出しても かえらぬ人の・・・』とあります。さらに、歌詞3番には『頁をひらけば 出て来た手紙・・・』と描かれています。

 戦地へ赴いた学徒兵や、空襲で亡くなった大切な人が書き残した手紙。その「字のあと」を辿ることで、死者との対話を試みているような切なさ。
 そうした感情が、この歌詞の底辺に、静かに流れているように感じられます。

 つまり、この歌詞は、特定の実在エピソードを基にしたと言うより、「戦火に散った学徒兵と、彼らを待っていた女性たち」という、当時の普遍的な悲劇が投影されているのです。

 この歌は、「詩集や手紙」という個人的で繊細な思い出を、日本中が共有していた「時代の痛み」へと昇華させました。単なる失恋ソングではなく、そこには戦後の傷跡を抱えた人々が、ニコライの鐘の音に祈りを捧げる姿が浮かび上がってきます。


4.今も聴こえる「ニコライの鐘」の音
 この「ニコライの鐘」は、現在も日曜日の朝に鐘が鳴らされており、その独特な音色は、“お茶の水” 周辺の象徴的な音風景となっています。

 私は、ニコライ堂を見学した際にも、実際にこの鐘が鳴るのを聴いたわけではありませんので、どのような音色なのかは想像するしかありません。
 鐘楼には大小6つの鐘があり、これらを組み合わせてロープで繰り、メロディックで複雑なリズムを刻むようです。

 今もその鐘を鳴らし続けているニコライ堂。それを讃えるこの『ニコライの鐘』の曲は、時代の移り変わりや人生の哀歓を歌った、戦後歌謡の傑作の一つだと思います。

 この曲で歌われた、「坂の上に立つ白い聖堂」。そこから空へと放たれる鐘の音。今も街に響くこの『ニコライの鐘』の音は、単なる教会の鐘ではなく、「青春へのレクイエム、戦争によって永遠に失われた恋への鎮魂」として、静かに街を包んでいるのかもしれません。


<<参考音源>>
藤山一郎が歌う「ニコライの鐘」(リンク)


<<参考情報>>

(*1)  ”ニコライ堂” の正式名称は、「正教会である日本ハリストス正教会(日本正教会)の中心で、全日本の府主教座・東京大主教座聖堂」、だそうです。

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