森田由美恵の「潮風の吹く町」(リンク)
潮の匂いを含んだ風は、ときに人の心の奥底にしまい込んだ、遠い記憶を呼び戻します。森田由美恵の『潮風の吹く町』は、そんな潮風の匂いを宿した、心揺さぶられる歌です。
1.46年後に再録音された歌
今では、森田由美恵という歌手も、この曲そのものも非常にマイナーに感じてしまいますが、1971年(昭和46年)の発売当時には、30万枚のレコードを売り上げています。
この曲で、新人賞他各賞の受賞もされていますので、当時は決してマイナーな存在ではなかったと思います。
ただその後、時代はスター歌手の黄金期へと移り変わります。山口百恵、森昌子、桜田淳子 といった華やかな存在の台頭で、彼女は次第にその陰に隠れた形になり、表舞台からは身を引くことになったようです。
しかし、還暦を超えた46年後に、再びこの歌を再録音されています。凄い執念というか、46年の時を経てなお歌い直したいと思わせるほど、この曲は彼女自身の人生と深く結びついていたのでしょう。
この歌からは、人生の悲哀のようなものも感じられますが、長い人生経験を積まれた後に、”振り子” のように、この歌に対する想いが戻ってきたのかもしれません。それだけこの歌に対する思い入れが強く、また良い歌だという自負もあったのだと思います。
この曲は、既に当サイトでもご紹介している『潮風が吹き抜ける町』という西郷輝彦の曲に、タイトルも歌の雰囲気も大変似たところがあります。西郷の曲は、1967年(昭和42年)発売で、作詞:奥野椰子夫 作曲:米山正夫。歌詞の抒情性が高く評価され、日本詩人連盟大賞を受賞しています。
『潮風の吹く町』はその4年後の発売で、作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介による作品ですが、時代背景を考えると、歌の雰囲気のようなものは、西郷の曲の影響を受けていた可能性も否定できません。
2.歌詞のモデルと思われる漁村
なかにし礼は、満州生まれですが、幼少期を小樽や青森で過ごしており、その頃の海辺の記憶が、この歌の背景に投影されている可能性があります。また、兄がニシン漁に関わっていた時期もあり、北国の漁村の光景は頭に焼き付いていたでしょう。
この事から、歌詞世界の舞台になっている「潮風の吹く町」は、こうした土地がモデルになっているように思います。
青森(市)は大きな街ですから、“なかにし礼” の頭の中には、小樽の漁村がイメージされていたのではないでしょうか。
小樽の海岸線は切り立った断崖と小さな入り江が続く地形で、それぞれの入り江に個性豊かな漁村(忍路(おしょろ)、塩谷(しおや)、祝津(しゅくつ)など)が点在しています(*1)。
描かれている時代は、1960年~1970年頃と思われますが、その頃の小樽は、「ニシン景気」が完全に過去のものとなり、漁業のあり方が大きな転換期を迎えていた時期です。
ニシンという「一攫千金」の巨大な富を追うスタイルから、地域の漁場でコツコツと獲る、静かな沿岸漁業の村へと移行していました。
3.1960年代の小樽近郊の漁村
大規模な網元が数百人を雇うような景気の良さは消え、自家用の小さな漁船を操り、夫が海へ出、妻が浜で網の繕いや出荷作業を手伝うといった、家族単位の細々とした漁業が各漁村で続いていました。
この曲の歌詞で描かれている光景は、どこか鄙びた小さな漁村を思わせますが、まさに1960年代の小樽近郊の漁村の光景そのものです。
歌詞には、主人公の母親が「~荒れた手をして 網をあむ」とあることから、漁業を営んでいる家族だったことは確かでしょう。当時、小樽近郊の漁村、忍路や塩谷では、浜辺で男たちが船を出し、女たちがウニの殻剥きやカレイの干物作りをする姿が日常でした。この歌の主人公の家族も、家族総出でこうした作業を日常的に行っていたはずです。
歌詞では、潮風の吹く漁村で母と細々と暮らしていた娘が、大都会へ飛び出していきます。そして、帰ろうと思いながらも帰れずに2年、さらには4年が過ぎ、ようやく故郷の母のもとへ帰る決心を固めます。
この「帰郷の決意」の瞬間こそが、“この歌の核心” ではないでしょうか。潮風が吹く故郷へ帰る決意を固め、夜汽車に乗った時の主人公の心情が、その行間から切々と感じられます。
夢を抱いて都会へ出たものの、思うようにはいかず、夢破れて故郷に帰るというのは、この当時も今も、日本全国で無数に見られる光景です。
それ故に、この娘の心情が聴く人の胸に実感として、強く伝わってくるのでしょう。北国の海辺の町に残した母を想う、母子の切ない絆が強く感じとれます。
この歌が胸を打つのは、単なる風景描写ではなく、「海という圧倒的な自然の傍らで、細々と、しかし懸命に生きる人達の営み」を感じさせるからです。北国の漁村を描きながら、実は「帰る場所を持つことの意味」を静かに問いかけているように感じられるのです。
4.郷愁を誘う「潮風」という言葉
ところで、「潮風」や「潮騒」という言葉には、どこか郷愁をさそう響きが感じられます。海に縁のない都会育ちの人であっても、この歌を聴いていると、なぜか自分自身も海辺の故郷へ「帰っていく」ような、感覚に陥ることがあるのではないでしょうか。
海は、陸(日常)が終わる境界線とも考えられますから、潮風に吹かれると、都会の喧騒や複雑な人間関係が、文字通り洗い流される感覚になります。
また、どこまでも続く水平線を見ることで、日々の小さな悩みから解放され、自分より大きな存在に包まれている感覚を得ます。この「自分を包み込んでくれる大きさ」が、親の懐に抱かれるような郷愁を誘うのでしょう。
「網を編む母、浜辺で遊ぶ子供たち、入り江に佇む小さな漁船、・・・」などは、都会人が郷愁を感じる ”日本の原風景” です。
この『潮風の吹く町』の歌は、こうした北国の漁村の光景を彷彿とさせるとともに、そこで懸命に生きる人々の営みや母子の絆、さらには、“潮風” に対する遥かなる郷愁のようなものさえ感じさせます。
この曲に派手さはなく、今では語られることもありませんが、人生を一巡した後に聴くと、深く心に沁みてきます。
昭和という時代が残した 、"静かな名曲" の一つだと思います。
<<参考情報>>
(*1) 小樽近郊の漁村
【忍路(おしょろ)】:
天然の良港として知られる美しい入り江を持つ集落です。ここは小樽の中でも特に歴史が古く、1960年代も家族経営の小規模な漁船が入り江にひしめいていました。時間の流れが止まったような、非常に静かで情景豊かな漁村でした。
【塩谷(しおや)】:
1960年代頃は砂浜での地引網や、近海での小規模な漁が盛んでした。
夏場は海水浴客で賑わう一方、それ以外の季節はひっそりとした漁村の顔を持っていました。
作家・伊藤整のゆかりの地としても知られますが、その詩集『雪明りの路』では、彼が青年時代を過ごした、この小樽・塩谷(しおや)の風景が、結晶化したように、静謐に美しく描かれています。
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