2026-06-14

杉田かおるの『鳥の詩』と、羽崎共子の童謡『青い鳥』(空を飛ぶ “鳥”たちが教えてくれること)

 大空を自由に飛び回れる “鳥” に憧れたことのある人は、少なくないでしょう。遥か上空から世界を俯瞰できる “鳥” は、昔から自由や希望の象徴として歌(詩)や物語に描かれてきました。


 今回は、そんな “鳥” を題材にした二つの歌をご紹介したいと思います。一つは “杉田かおる”の『鳥の詩』。もう一つは大正時代に生まれた童謡『青い鳥』です。

 同じ “鳥” を歌いながらも、その姿が私たちに語りかけているものは少し異なります。その違いにも耳を傾けながら味わってみたいと思います。

 


杉田かおるの『鳥の詩』(歌:リンク)
1.テレビドラマの挿入歌として作られた歌
 『鳥の詩』というタイトルの歌には、若者の間で広く知られる伝説的なアニメソングがありますが、ここでご紹介するのは、1980年代前半に放映されたテレビドラマ、『池中玄太80キロ パート2』挿入歌として作られた歌の方です。


 1981 年の発表ですが、ドラマで長女役(池中絵理)を演じた “杉田かおる” さんは、2020年にこの曲を改めて録音されています。約40 年近い歳月を経て、再録(セルフカバー)するというのも珍しいのですが、この2020ver.の方がオリジナルver.より深みが感じられます。


 この40年間で様々な経験を積まれ、この歌への想いがより深まったのでしょう。冒頭 に流れるトランペットやピアノの音色も実に効果的です。なお、この曲は1987年以降、中学校の音楽教科書にも、度々(たびたび)掲載されたようです。


 主演の西田敏行が演じたカメラマン池中玄太が、ライフワークとしていたのは、北海道の道東部に生息する “丹頂鶴の撮影” でした。
 このため、この歌詞における “鳥” のイメージの根底には、丹頂鶴が存在すると考えられます。玄太にとって “鳥” は単なる被写体ではなく、自身の生き方や美学を投影する対象だったのです。

 


2.「喪失から再生への励まし」が詠われている
 歌詞冒頭は『あなたがいた頃は 笑いさざめき・・』で始まりますが、この「あなた」というのは、ドラマの中で玄太と結婚し、わずか11日後に急逝してしまった妻・鶴子(丘みつ子)を指していると考えられます。


 突然の別れによって残された玄太と3人の娘たち。このドラマには、その喪失感と、亡き妻の面影が常に漂っていました。


 歌詞での “鳥” は、自由に空を飛ぶ存在であると同時に、地上に縛り付けられない “魂の象徴”として描かれています。
 ここには、残された家族が鶴子という存在を失った悲しみを抱えつつも、どうやって再び『空(未来)』を見上げるか、に対する「静かな励まし」が込められています。


 さらに、この歌はドラマ上の母親(鶴子)への惜別であると同時に、現実の世の中で突然大切な人を失ってしまった、多くの人たちにも向けられているように感じられます。


 人は誰もが人生のどこかで、大切な人との永久の別れを経験します。だからこそ、この曲は特定のドラマの挿入歌でありながら、多くの人の心に届く普遍性を持っているのでしょう。

 


3.鳥は “俯瞰能力” によって自分の現在位置を把握できる
 この曲を聴いていると、静かな悲しみの底にどこか透明な光が差しているような気がしてきます。また、遥か上空を飛翔する “鳥” の姿がイメージされ、リチャード・バックの小説『かもめのジョナサン』(*1)を連想させます。


 この小説では、“鳥” の持つ俯瞰能力が描かれていました。“鳥” は上空から広く世界を眺めることができますが、俯瞰することで自分の現在位置を正確に把握し、目的地を誤らずに目指せることになります。


 歌詞での ”鳥“ が空をゆく描写は、愛する人が亡くなった後も世界は動き続け、残された人たちもまた、自分の足で立ち、自分の翼で『正しい方向へ』飛んでいかなければならないという『静かな決意』のように思えてくるのです。

 


羽崎共子の童謡「青い鳥」(歌:リンク)
4.大正時代に生まれた童謡
 今回ご紹介するもう一曲は、よく知られた童話『青い鳥』をテーマにした童謡です。羽崎共子という歌手が歌っていますが、この「歌手」も「歌自体」も、あまり知られていません。私もこのリンク先サイトの記事を読むまでは全く知りませんでした。


 大正13年(1924)発表ということですから非常に古い歌です。調べてみると、この歌は日本の童謡文化の黎明期を飾る重要な作品の一つでした。


 作詞はアララギ派の歌人として知られた “法月歌客(のりづき かきゃく)”、作曲は『月の沙漠』の作曲で有名な “佐々木すぐる” による作品です。『月の沙漠』は大正12年発表ですから、その翌年に創られた童謡ということになります。


 “法月歌客” が書いた歌詞は大正浪漫(たいしょうろまん)の薫り高い繊細なもので、“佐々木すぐる” による旋律は美しく、どこか哀愁を帯びています。


 ベルギーの作家メーテルリンク原作の、この童話劇は広く知られています。チルチル、ミチル兄妹が「幸福の青い鳥」を探しに行く物語ですが、今では『青い鳥』という言葉自体が、「身近にあって気づかない幸福」の代名詞として使われています。

 


5.今の日本にいる「青い鳥」を探す
 さて、歌の話から少し離れますが、ここからはチルチル、ミチル兄妹が探し求めた「青い鳥」を、今の日本でも少し探してみたいと思います。


 何を幸せと感じるかは人それぞれです。有名になった芸能人たちが豪邸を建てたり、高級車を乗り回したりしている話をよく見聞きしますが、そうした「自分の成功を象徴するような実体物」を所有することに、憧れる人が一般的なのだろうと思います。


 また、実社会の荒波に揉まれるうちに、いつの間にか出世競争が生きる目的になってしまった方もおられるでしょう。
 しかし、そうした物や地位を手に入れたとしても、満足感があるのは一時(いっとき)だけかもしれません。

 


6.有名人願望の危うさ
 もう一つ、今の時代で特徴的なのが「有名人願望」だと感じています。「承認欲求」と言い換えてもいいかもしれませんが、SNSの普及によって、以前よりも多くの人が自己表現の機会を持つようになったからでしょう。

 テレビ・インターネットによるマスメディア環境の飛躍的向上がその背景にあると考えられます。


 向上心を持つことは大切ですし、憧れに向かって切磋琢磨すること自体は悪いことではなく、良い面の方が多いと思います。反面その願望が強すぎると、望みが叶わなかった時の失望感は大きく、以降の人生を平凡でつまらなく感じさせる、危うさも包含しているはずです。


 江戸時代末期や明治時代の事を深く研究されている方の著作(*2)を読むと、当時の人々には現代人ほど強い自己主張の観念が見られなかったと述べています。

 公衆の面前にしゃしゃり出るなどという気恥ずかしい真似はできない、という人が多かったのです。つまり、自分は平凡な人間だと考え、過剰な自己愛を抑制していたのかもしれません。


 一概に「昔の人の考え方の方が良かった」とは言えませんが、今の時代、あまりに世間の風潮に迎合し過ぎると、結果的に本人にとっての幸福には繋がらないかもしれません。

 


7.精神的な満足感を重視する傾向
 一方、最近は精神的な満足感を重視する人が増えているようです。やりがいのある仕事に就いたり、身近な人とのコミュニケーションがうまくいったり、と精神的な満足感や、ゆとりが感じられるような状態を幸せと感じる人です。


 物質的な所有欲以外の「自分を豊かにしてくれるいろんな物を見つけること」ができれば、もっと楽しく暮らしていけるはずですし、それが生活を充実させるということでもあります。


 『多くを求める人は多くのものが足りず、常に貧しい』と言われることがありますが、この事に気づくかどうかが幸せになれるかどうかの岐路でもあるように感じます。


 結局世の中には絶対的に「幸福な状態/不幸な状態」というものがある訳ではなく、どんな状態であったとしても、その人が幸福だと感じれば幸福だし、不幸だと感じれば不幸になるので、つまり心の持ちようが一番大事だという事なのでしょう。

 


8.『青い鳥』の物語に隠されたメタファー
 話が飛んでしまいましたが、最後に表題の『青い鳥』の話に戻します。この物語の結末では、せっかく見つけたと思った「青い鳥」は結局逃げてしまいます。

 これは「幸福とは固定された所有物ではなく、掴んだと思った瞬間に指の間をすり抜けていく流動的なもの」ということを示しているのでしょう。


 また、物語の最後、旅から戻ったチルチルたちは日常に戻りますが、これまで見ていたはずの自宅の風景が、旅を終えた後には以前より輝いて見えます。これは、「風景が変わったのではなく、風景を見る当人の『目』や『心』が変わった」という解釈です。


 過酷な旅(経験)を経ることで、世界の見え方そのものが変容し、何気ない日常の中に潜む生命のきらめきを認識できるようになる――つまり、この物語は、外の世界を旅したのではなく、実は「自分自身の内面を旅した」メタファー(暗喩)と考えられるのです。

 


9.鳥が教えてくれること
 『鳥の詩』の鳥は、喪失を抱えながらも未来へ向かって飛び立とうとする、魂の象徴でした。
 一方『青い鳥』の鳥は、遠くにあると思っていた幸福が、実は身近な場所に息づいていることを教えてくれます。


 一方は空へ向かう鳥であり、もう一方は幸福を探す鳥です。しかし、そのどちらも私たちに「自分の人生をどのような眼差しで見つめるのか」を問いかけているように思えます。


 鳥は自由の象徴として歌われることが多い存在ですが、本当に自由になるために必要なのは、遠くへ飛ぶことではなく、「物事を見つめる心の在り方」なのかもしれません。
 そんなことを思いながら、味わい深い二つの歌に耳を傾けています。

 


<<参考文献>>
(*1)かもめのジョナサン
・新潮文庫 『かもめのジョナサン』リチャード・バック 著、 五木寛之 創訳


(*2)江戸末期や明治時代の人々の考え方
・平凡社ライブラリー『逝きし世の面影』渡辺京二 著
・文春新書 『無名の人生』渡辺京二 著

 

  

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