ちいさい秋みつけた(歌:リンク)
物陰から忍び寄るように訪れる、秋の気配。『ちいさい秋みつけた』は、そんな季節の移ろいを、子供にも親しめる平易な言葉と、心に染み入る旋律で描いた童謡です。
しかし、この歌の魅力は、秋の訪れを歌っているというだけではありません。作詞したサトウハチローの歌詞に秘められた記憶や、作曲家・中田喜直の歩んだ人生、そして古典文学に描かれた季節と時間の感覚を重ねてみると、そこには、過ぎゆくものを見つめる人間の心が浮かび上がってきます。
今回は、この名曲の背景をたどりながら、「秋の訪れに気づくという小さな経験」から見えてくるものについて、少し掘り下げて考えてみたいと思います。
1.「ちいさい秋」という言葉の豊かさ
『ちいさい秋みつけた』とは素晴らしいタイトルです。この短い言葉のなかに、秋の到来への感動や、盛夏が終わる寂しさまでが込められているように感じます。
「ちいさい秋」とは、紅葉のように誰の目にも明らかな秋ではなく、普段なら見過ごしてしまいそうな、小さな変化や気配を指しているのでしょう。
それは、風の冷たさであったり、遠くから聞こえてくる鳥の声であったり、あるいは、言葉にすることさえ難しい、心の奥にふと触れた感覚なのかもしれません。
誰かに教えられたのではなく、自分自身で「みつけた」。その瞬間、見つけた人の心のなかでは、すでに静かに秋が始まっているのです。
この曲は、昭和30年(1955)のNHK放送記念祭で発表されています。歌詞については、人により様々な解釈があります。詳しく分析もされていますが、特に、歌詞中に繰り返し現れる<誰かさん>とは、実際には誰のことなのかで、見解が分かれています。
2.歌詞に書かれた<誰かさん>とは
サトウハチロー自身は、「誰かさん」が誰なのかを明言していません。そのため、様々な解釈がなされていますが、歌詞の1番から3番が、必ずしも同じ時期の一つの情景を描いたものとは限らないと考えられています。
以下では、いくつかの解釈をご紹介します。ただし、いずれも作者本人によって確認されたものではなく、確定的な答えがあるわけではありません。
この歌詞が書かれたのは、昭和30年(1955)の秋です。ハチローは当時住んでいた東京都文京区弥生の自宅1階で、布団に腹ばいになり、原稿用紙を広げて、この『ちいさい秋みつけた』の歌詞を書き上げた、と言われています。
歌詞に登場する<誰かさん>については、隣家の子供がモデルになったという説があります(*1)。サトウハチローの没後、隣家に住んでいた水野陽一さんが、ハチローの妻・房枝さんから「あの歌の<誰かさん>は、あなたのこと」と告げられたという話が伝えられています。
この証言が伝えるとおりであれば、歌詞に描かれた情景の一部には、隣家の水野さんや、近所の子供たちが「目かくしおに」で遊んでいた姿が反映されているのかもしれません。
ただし、ハチローが歌詞を書いていたその時に子供たちを見ていたのか、以前に見た光景を思い出して書いたのかは分かりません。また、その証言だけで、歌詞全体の<誰かさん>の正体が明らかになったとも言い切れないでしょう。
私はむしろ、子供たちが遊ぶ声や手拍子の響きに耳を澄まし、その喧騒の向こうから聞こえてくる鳥の声に、ふと秋の気配を感じ取ったハチロー自身の姿を想像したくなります。
あるいは、この<誰かさん>とは、特定の人物を指すのではなく、秋の訪れに気づいた人なら誰でもなり得る、そんな存在なのかもしれません。
3.ハチロー自身の幼少期がモデルという解釈(*2)
2番の<誰かさん>については、幼少期のハチローの記憶を反映しているという解釈があります。大やけどの影響で家に閉じこもりがちだった幼い頃のハチローが、薄暗い北向きの部屋で感じた静かな感覚が、2番の歌詞の背景にあるように感じられます。
窓の隙間から入り込む、かすかな風。その小さな変化を肌で感じ取ることで、幼いハチローもまた、子供なりの「ちいさい秋」を見つけたのかもしれません。
3番の<誰かさん>についても、ハチロー自身の幼少期の記憶を重ねて読む解釈があります。「ぼやけたとさか」とは、長い年月を経た風見鶏(かざみどり)の姿を、記憶のなかでぼんやりと眺めている様子のことで、「入り日色(いりひいろ)」とは、西に沈もうとする夕日の色、つまり夕焼けに染まった空の色を指しています。
ハチローは、幼い頃、クリスチャンだった母親に手を引かれて教会へ行った思い出を語っています。その教会の屋根にあった風見鶏の記憶と、歌詞に登場する「風見の鳥」とが、直接結びついているのかどうかは分かりません。
しかし、幼い日の記憶のなかに残る風景や、母親と過ごした時間が、こうした情景を描く際の心の背景になっていた可能性はあるでしょう。
「ぼやけたとさか」に「はぜの葉ひとつ」が重なる情景には、過ぎ去った時間の向こうに、かすかな秋の色が浮かび上がるような趣があります。
4.季節の変化に気づく一瞬
ところで、平安時代の歌人、藤原敏行は『古今和歌集』に収められた歌で、
『秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる』
と詠んでいます。
季節の移ろいとは、いつも明確な境界をもって訪れるものではありません。気がついたときには、すでに新しい季節の気配が訪れていたと感じることが多いものです。
ただ、昨日までと同じ景色のなかに、ふとした瞬間、これまでとは違う何かを感じ取ることがあります。
晩夏から初秋への移り変わりには、私自身も「今年の夏も、もう終わりだな」と感じる瞬間があります。
外を歩いているとき、ふと吹いた風に、これまでとは違う冷たさを感じる。夜には虫の音が聞こえ始め、衣料売り場には夏物に代わって秋物が並ぶ。果物売り場で梨を見かけるようになるのも、季節の変化を感じる瞬間です。
こうした何気ない出来事を通して、私たちは盛夏の終わりを意識するのではないでしょうか。
5.窪田空穂が書いた「秋の第一日」
こういった、秋の到来に初めて気づいた時の感慨を、鮮やかに描き出した文章があります。明治から昭和にかけて活躍した歌人、窪田空穂(くぼたうつぼ)が書いた『秋の第一日(*3)』という随筆です。
<以下、作品社版より引用>
【秋が来たのだと私は驚いたやうに思つた。今までの盛夏と、その盛んな威圧、其れを見てゐると、何時来るものとも思へずに居た秋が、もう此所に来て居るのだ。さう思ふと私は今更のやうに辺りを見回さずには居られなかつた。
(中略)
物蔭に隠れて隙を窺つて居て、不図現れて、かの盛夏を倒してしまつたやうな秋、私はその秋の第一日の静かさと涼しさの中に居て、昨日までの夏を追想した。苦しくはあつたが厳かな、賑しく輝いて居た夏といふものの、脆くも倒され去つたのを思つた。暮れて行く空と、四辺の静けさに包まれてゐると、私は閉め出されたやうな、行く所の無いやうな、染々とした哀愁を覚えて来た。】
窪田空穂の随筆に描かれているのは、盛夏の勢いが衰えたことを、静けさや涼しさのなかに感じ取った大人の心です。一方、『ちいさい秋みつけた』では、もっと素朴で、子供のように直観的な感覚を通じて、秋の気配が描かれています。
両者に共通しているのは、季節が変わったという事実そのものよりも、変化に気づいた瞬間の心の動きです。何かが劇的に変わったわけではない、ほんの少しの違い。それに気づいたとき、私たちは、そこにすでに新しい季節が訪れていたことを知り、何とも言えない淋しさを感じるのです。
6.童謡の枠に収まりきらない抒情性
『ちいさい秋みつけた』は、童謡でありながら、その枠に収まりきらないほどの抒情性を湛えています。それは、サトウハチローの繊細な歌詞によるところが大きいのはもちろんですが、中田喜直が作曲した、静かで心に染み入るようなメロディーの力も見逃せません。
中田は、クラシック音楽の素養を背景に、『夏の思い出』や『雪の降るまちを』など、世代を超えて親しまれる歌曲や童謡を数多く生み出しました。
その音楽の背景を考えるとき、私たちは、彼が若い日に経験した戦争のことを思わずにはいられません。
中田は東京音楽学校(現・東京藝術大学)のピアノ科を繰り上げ卒業後、昭和18年(1943)に陸軍の特別操縦見習士官に志願し、宇都宮陸軍飛行学校へ入隊しました。
その後、フィリピンへ派遣され、陸軍航空部隊で任務に就くことになります。そこでの戦争体験には、後年の回想として伝えられている、鮮烈なエピソードがあります。
7.中田喜直が戦時中に知った命の本当の重さ
中田は、フィリピン第四航空軍司令部付きとなりマニラへ到着した際、現地の司令官から「君たちは特攻隊だ」と告げられ、強いショックを受けるという経験をしています。
これは後に書類上の行き違い(誤認)であったことが判明するのですが、当時の恐怖を振り返り、この瞬間に命の本当の重さを知ったと、後に語っています。
中田は、飛行第14戦隊所属で「九七式重爆撃機」の操縦士でしたが、米軍がレイテ島に上陸する約1ヶ月前(1944年9月中旬)にジャワ方面への移動命令を受けてフィリピンを離れ、その後日本本土へ引き揚げていました。
中田らが去った後、昭和19年(1944年)10月に米軍がレイテ島に上陸。マニラに残った同期や仲間の操縦士の多くは、その後のレイテ・ルソンを巡る激戦の中で、特攻(神風特別攻撃隊・陸軍特攻)等で命を落としています。
彼がフィリピンを離れた時期と、現地に残った同期や仲間たちがその後の激戦に巻き込まれていった経緯を思うと、わずかな時期の違いが、その後の人生を大きく分けたことが分かります。
戦後、中田は音楽家として、自分に何ができるのかを考え続けたことでしょう。戦争を生き延びた自分にできることは、人々の心に寄り添う音楽を生み出すことではないか。
――そのように考えてみると、彼の作品に流れる静かで繊細な抒情性も、また違った意味をもって感じられます。
そこに、戦火に散った人々への鎮魂や、平和への願いを読み取ることもできるでしょう。それが作曲家自身の意識した主題であったかどうかは別として、彼の歩んだ人生を知ることで、私たちはその音楽を、より深く味わうことができるのです。
(注)この章で書いている中田喜直の軍歴については、本稿の最後、<<参考情報>>(*4)での記載内容を、併せてご確認下さい。
8.『徒然草』で語られる死生観(季節から人生の有限性を考える)
『ちいさい秋みつけた』の歌詞で繊細に描かれた “季節の移ろい” については、遠い昔の人々も敏感に感じとっていました。
吉田兼好(卜部兼好)の『徒然草』第155段には、季節の移り変わりについて、次のような一節があります。
「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春は、やがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ……(*5)」
春が終わってから夏が来るのではなく、春のうちにすでに夏の気配が生まれ、夏のなかにも秋の気配が通っている。兼好は、季節の移り変わりをそのように捉えています。
このあと兼好は、人の一生も同じだと述べています。
私たちは普段、季節が順を追って移り変わるように、人生にも、若さから老いへ、そして死へと向かう一定の順序があるかのように、無意識のうちに考えているのかもしれません。
しかし、春のうちにすでに夏の気配が生まれ、夏のなかにも秋が忍び寄っているように、人の一生もまた、気づかないうちに移り変わっていきます。
兼好が説くのは、死が遠い未来に突然訪れるのではなく、私たちがそれを意識しない間にも、確実に近づいているということなのでしょう。
季節の移ろいには、ある程度の順序があります。しかし、人の生死は、その順序を待ってはくれません。だからこそ、いつか訪れる終わりを意識しながら、今という時間をどう生きるかが問われるのです。
「ちいさい秋」を見つけた幼い子供にとって、その夏は、いつまでも続くように思われるほど、光に満ちたものだったのかもしれません。しかし、秋の気配にふと気づいたその瞬間、知らないところで季節はすでに移り変わり始めていました。
夏が終わってから秋が来るのではない。夏のなかに、すでに秋は忍び寄っている。それは、季節だけの話ではないのでしょう。私たちが何気なく過ごしている日々のなかにも、いつか振り返ることになる時間が、静かに流れています。
そう考えると、この歌の「ちいさい秋」とは、単に秋の訪れを見つけたというだけではなく、過ぎゆく時間のなかに、かけがえのない何かを見つけた瞬間なのかもしれません。
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<補足>冬の足音が聞こえる季節を描いている可能性
私自身も含めて、この歌詞に描かれているのは、晩夏から初秋にかけての情景だと、ほとんどの人が考えていると思います。
夏の終わりに、ふとした風や鳥の声から秋の訪れを感じ取る。そうした季節の変化を歌ったものだと、当然のように思っていました。本稿で書いている内容もその前提で綴っています。
しかし、この歌詞を改めて読み返すと、必ずしもそうとは限らないことに気づきます。「はぜの葉赤くて 入り日色」という一節が描くのは、秋がかなり深まった頃の風景とも考えられるからです(*6)。
本文でも書きましたが、歌詞の1番から3番が、同じ時期の一つの情景を描いたものとは限らないと考えると、特に3番については冬の足音が聞こえ始めた、初冬の季節を描いている可能性が否定できません。
そうであれば、「ちいさい秋」とは、これから訪れる秋の兆しではなく、冬が近づくなかで、身の回りにひっそりと残っている秋の気配なのかもしれません。
もっとも、歌詞には季節を明確に定める言葉はありません。ただ、歌詞全体から受ける印象としては、やはり晩夏から初秋にかけての時期と捉えるのが自然だと思います。
私はやはり、初秋の歌として受け止めていますが、秋の終わりに目を向けてみると、この歌の寂しさがまた違った表情を見せるようです。
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<<参考音源>>
・ボニージャックスの歌唱『ちいさい秋みつけた』
<<参考情報>>
(*1)歌詞1番の<誰かさん>のモデル
・『うたの旅人 II』(朝日新聞出版)
朝日新聞の土曜別刷り「be」の連載『うたの旅人』において、この連載をまとめた単行本(1冊目の単行本に続く、2冊目の単行本)に記載されている内容です。
・朝日新聞に掲載されたのは 2009年(平成21年)12月5日付の朝刊でしたが、紙面の取材をした記者の裏話(水野陽一さんからの取材証言)として、紹介されています。
(*2)歌詞2番・3番の<誰かさん>解釈の参考資料
・下記のネット記事を参考にしています。
世界の民謡・童謡 「ちいさい秋みつけた 歌詞の意味・解釈」
「小さい秋みつけた」解釈
(*3)窪田空穂『秋の第一日』
・作品社『日本の名随筆 19「秋」』山本健吉 編 P-15より引用
(*4)中田喜直の戦争体験(各エピソードの根拠と検証・文献情報)
・中田喜直の戦争体験(特別操縦見習士官としてのフィリピン出征、レイテ戦直前の転属、同僚の戦死等)については、中田喜直本人の手記・インタビュー記録のほか、以下の資料に記載されています。
①『音楽の友』追悼特別号 / 関連追悼集(音楽之友社、2000年刊)
②『戦没学生の音楽作品よ、甦れ!』(東京藝術 大学・大石泰 名誉教授による解説文書等)
③『中田喜直:音楽と私』 / 『中田喜直の世界』関連資料
<補注>経歴資料により異なる記述箇所について
・戦時中、中田喜直が所属した部隊と扱った機体については、後年の略歴や解説書等で「九七式重爆撃機(飛行第14戦隊等)」、または一部の訓練・回想記録では「四式戦闘機『疾風(はやて)』を装備する部隊(飛行第51戦隊附等)」の両方の記述が見られます。
・また、「君たちは特攻隊だ」と告げられた場所についても、「マニラ」の他に「台湾の嘉義飛行場」としている資料もあり、経歴資料により異なる記述がみられます。
・上例のように、中田喜直の軍歴について紹介している、本稿記述内容の細部については、史実とは異なる可能性もありますので、ご注意ください。
(*5)徒然草(第155段)
・第155段の引用元:
ちくま学芸文庫『徒然草』 兼好 島内裕子 校訂・訳
・原文(書き下し文) P-197より引用
春暮れて後(のち)夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春は、やがて夏の気を催し、夏より、既に秋は通ひ、秋は、則ち(すなはち)寒くなり、十月は小春(こはる)の天気、草も青くなり、梅も蕾(つぼ)みぬ。
(*6)初冬説の紹介で参考にした資料
・ブログ「二木鉱三のうた物語」 当歌コメント欄の下記投稿で、この見方(初冬説)についてのご意見が書かれています。後にご自身でこの見解を否定されていますが、私はなかなか鋭い見方だと感じました。
・本稿でもこのご意見を参考にさせていただいてます。
投稿: ハコベの花 | 2021年2月 4日 (木) 16時20分
投稿: ハコベの花 | 2021年2月 7日 (日) 00時14分
・なお、ハチローが住んでいた東京では、本格的に「ハゼの木」全体が鮮やかな朱色や赤色に染まるのは、11月中旬~下旬以降のようです。
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