大人にとって、古くから歌い継がれてきた「童謡」には、どのような意味があるのでしょう。それは、単なるノスタルジーに過ぎないのでしょうか。
今回は、古い童謡をいくつかご紹介するとともに、その童謡が記憶の引き出しを開け、固まった感性をほぐす側面についても考えてみたいと思います。
1.日本の童謡(「仲よし小道」と「あの子はたあれ」)
・仲よし小道_楽器演奏のみ(歌:リンク)
・仲よし小道_歌唱:桑名貞子&コロムビアゆりかご会(歌:リンク)
・あの子はたあれ_歌唱:野田恵理子&森の木児童合唱団(歌:リンク)
今の子供たちが、どのような音楽に親しみ、どういう歌を歌っているのか、私は詳しくは知りません。ただ、古くからの童謡に接する機会が、一昔前よりずいぶん少なくなっているような気がします。その親世代でさえ、昔ながらの童謡に馴染みのない人が増えているのではないでしょうか。
歌詞の内容が現代の生活環境と乖離していることや、多様な音楽に触れる機会が日常的になっている現在では、かつてのように古くからの童謡に深く親しむ機会が少なくなっているのは、自然な成り行きだと思います。
今回ご紹介する曲も、新時代の音楽環境下で育った人たちには、馴染みがない歌でしょう。一方、古い世代の人たちの中には、幼い頃に耳にしたことがある方も、おられるかもしれません。
『仲よし小道』や『あの子はたあれ』は幼い子供向けの童謡でありながら、大人にも、自分自身あるいは自分の子供が幼かった頃を思い起こさせる歌です。明るく弾むような曲調の奥底に、還らぬ子供の頃へのノスタルジーを強く感じさせます。
ことに『あの子はたあれ』の歌詞二番にでてくる「竹馬ごっこ」は懐かしいです。近所の子と競い合って、足置き台をより高くして遊んでいたことを思い出します。
足置き台を高くするほど、竹馬に乗ったときの怖さは増します。ところが、意外なことに、高い方が安定して歩きやすかったのです。そのときの身体感覚が、この歌を聴くうちに不思議なほど蘇ってきました。
子供たちが、こうした歌に接する機会が遠くなる中で、現在も、唱歌や童謡を中心にコンサート活動しているデュエットやグループが幾つかあります。
ただ、こうした人たちのコンサートでさえ、曲目にこの『仲よし小道』や『あの子はたあれ』が含まれているのを、目にすることはあまりありません。
聴く人の心を深く揺さぶる独特の温かさと透明感のある、こうした童謡がこれからも歌い継がれることを願わずにはいられません。
2.戦時下で生まれた童謡だった
『仲よし小道』は河村光陽、『あの子はたあれ』は海沼實の作曲で、ともに日本の童謡史に一時代を築いた人です。また、どちらの曲も昭和14年(1939)の発表でした。
昭和14年(1939)といえば、日中戦争が本格化して社会全体に戦時色が色濃くなり、世情の緊迫感が高まっていた時期です。そのような時代に、こうした子供向けの牧歌的な童謡が生まれていたことに驚きます。
戦争が激しさを増すにつれて軍国歌謡や戦時色の強い童謡が奨励されるようになり、『あの子はたあれ』の初版レコードなどは、物資不足や時局柄から広く普及するには至りませんでした。
日本が敗戦を迎えた後、荒廃した社会の中で人々の心を癒やし、再び子供たちがのびのびと歌える日常を取り戻す象徴として、これら昭和14年前後に作られた良質な童謡がラジオの音楽番組や学校教育を通じて、急速に日本全国へ広まっていきました。
こうした歴史的背景を踏まえると(*1)、戦後の社会変化の中で、子供たちだけでなく親世代も、こうした童謡が描く平和で牧歌的な情景に惹かれ、広く普及していった理由がよく分かる気がします。
3.海外の童謡(マリセリーノの歌)
・マルセリーノの歌(歌:リンク)
この曲は、往年のスペイン名画『汚れなき悪戯(いたずら)』挿入曲として有名になりました。日本では雪村いづみさんが歌い、NHKの「みんなのうた」などで放送されたほか、一時期、小学校の音楽の授業やリコーダーの教材として定着しました。
このため、歌や映画の題名は知らなくても、どこかで聴いたことのあるメロディだと感じる人は多いと思います。
『汚れなき悪戯』は、1955年に公開されたラディスラオ・バホダ監督のスペイン映画です。5歳の主人公マルセリーノ役を、当時6歳だったパブリート・カルボが演じて、カンヌ国際映画祭で特別子役賞を受賞しています。
この映画の大筋は、次のような物語です。
【戦争で荒廃したスペインの村の修道院で育てられた少年マルセリーノが、納屋で見つけたキリスト像にパンやワインを運ぶようになり、やがて奇跡によって、天国にいる母親に会うという願いを叶えられる。】
4.忘れられない映画とその挿入歌
日本人の感覚からすると、未だ5歳の少年が最後に死を迎えるこの映画の結末は、どうしても物悲しく感じられます。一方、キリスト教的な世界観では、母のいる天国へ旅立つことを、必ずしも悲劇としてだけ受け取らないのかもしれません。
主題曲となったこの歌では、修道士たちがマルセリーノに呼び掛けている様子が歌われています。映画では、修道士たちとマルセリーノとの間でのおもしろい言葉の掛け合いがあったりして、全体的には暗いイメージの映画ではありません。
この曲は、マイナー調(短調)特有の哀愁や物悲しさが漂うメロディで、映画に雰囲気が合っていて、映画と歌のどちらにも、それぞれ素晴らしい魅力があります。この映画を見た人は、挿入歌『マルセリーノの歌』のメロディとともに、その余韻が心に残り続けるのではないでしょうか。
5.幼少期の世界を描写した、中勘助の『銀の匙(さじ)』
ここまで、幼少期の子供たちを描いた童謡を幾つかご紹介してきました。
自分自身の幼少期を思い返してみると、強く印象に残った場面の記憶が微かに残ってはいますが、それは断片的なものであり、しっかりしたストーリー性のある記憶ではありません。これは私だけではなく、ほとんどの人が同じではないでしょうか。
ところが明治末期に、こうした幼少期の記憶を、しっかりとした物語として書き残した人がいました。それが、中勘助による有名な小説『銀の匙』です。夏目漱石はこの小説を読み、直ぐに、子供の世界の描写として未曾有のものであることに気づき、絶賛しています。
それは大人が見た子供の世界でも、大人によって回想された子供の世界でもなく、まさに子供が大人の言葉の最も少年的な部分をつかって描いた織物のようなのです。
大人にしか書けない文章でありながら、そこに使われているのは、子供がその日々のなかで感じている言葉なのです。
著名な書評家である松岡正剛は、この小説を『少年の心そのまま、少年の魂に去来するぎりぎりに結晶化された言葉の綴れ織りなのだ。大人がつかっている言葉のうちのぎりぎり子供がつかいたい言葉だけになっている。』と評しています。
6.「すぐ役に立たないもの」の価値
ところで、中学校の国語教師だった橋本武という先生は、昭和25年(1950)頃から教科書を一切使わず、中学の3年間をかけてこの『銀の匙』の作品を読み込む授業を行っていました。
当然、生徒からは文句が出ますが、橋本は『すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる』とし、テーマの真髄に近づき問題をきちんと理解できるかどうか、 “学ぶ力の背骨”を生徒が物語から学ぶよう指導しました。この授業を受けた生徒の中からは、のちに各業界で活躍する人材が数多く育ち、橋本は彼らから大変感謝されていたそうです。
私も、これに近い考え方の先生の授業を受けた経験があります。高校1年生だった時の体育の先生でした。この先生は、入学直後から半年間、ラジオ体操のような基礎運動だけを徹底して行い、球技などの一般的な体育授業はまったくありませんでした。
その授業では最初から最後まで基礎運動だけに終始するため、単調で面白味もなく、生徒たちは “文句たらたら” でした。
しかし、卒業後にそのクラスメンバーに会うと、必ずこの体育授業の話が出ます。そして、その時点ではあの授業のことを悪く言う人はいなくなっていました。
今振り返ると、先生は、何か一つのことにじっくり取り組む忍耐力や、基本を大切にする姿勢を、体育を通して教えようとしておられたのだと思います。
7.童謡が大人に及ぼす情緒的役割
最初にご紹介した童謡『仲よし小道』も『あの子はたあれ』も、リズミカルで優しくほっこりとした気持ちになる歌です。歌詞も旋律も明るく、憂いを含んだところはどこにも見当たりません。
にもかかわらず、こうした歌を聴いていると、心の底になぜか物悲しい気持ちが沸いてくるのは何故なのでしょう。
これらの歌では、当時の子供たちの何気ない日常の断片が、素朴かつ洗練された歌詞と旋律によって鮮やかに描き出されています。こうした楽曲は、単なる懐かしさという枠を超え、かつて身近にあった慎ましくも豊かな暮らしを静かに思い出させてくれます。
それは、遠い過去への郷愁と言うべきものかもしれません。何の心配事もなかった幼少期には二度と戻ることはできません。年を重ねるにつれ、そうしたノスタルジーのような想いが強くなるものです。
見方を変えれば、もう戻ることのできない時間だからこそ、童謡の旋律に触れたとき、余計に郷愁を誘うのかもしれません。
「なぜ、何十年も前の子供の歌が、大人になった自分の心を動かすのか」。
それは、社会的な役割や責任を背負って生きる大人が、幼い頃に親しんだ童謡を聴くことで、凝り固まっていた感性がほぐされるからでしょう。その結果、心の奥底にしまわれていた感情が静かに刺激され、感動するのではないでしょうか。
8.長い年月を経て初めて分かるもの
先に、「何の心配事もなかった幼少期」と書きましたが、これは大人になってからの表層的な回想で、実際には子供にもそれなりの心配事や気苦労があるものです。それを見事に書き現したのが、中勘助の名作『銀の匙』でした。
教科書を使わず、同書を使った授業を展開した中学教師・橋本武は、もっと実践的な講義を求める当時の生徒たちに対し、【すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる】と言い聞かせていました。
この言葉は、変化の激しい今の時代を生きる子供たちにとっては、一段と大切な金言になっているのではないでしょうか。
そして、童謡もまた、すぐに役立つものではありません。しかし、何十年も経ったある日、ふとその歌を聴いたとき、忘れていた幼い日の風景や、当時の身体感覚までもが蘇ってくることがあります。
それは、童謡が記憶の奥深くに残してくれた、小さな「心の財産」なのかもしれません。すぐには役に立たないものが、長い年月を経て、かえって心を支えてくれることがある。古い童謡には、そんな不思議な力があるように思います。
<<参考音源>>
・マルセリーノの歌_原語のスペイン語版(歌:リンク)
<<参考文献>>
・日本放送出版協会(2003年)『童謡 心に残る歌とその時代』 海沼実 著
(*1)戦時下における音楽やメディアの状況、子供向けの歌がたどった運命が、時代背景とともに詳しく書かれています。
・岩波文庫『銀の匙』 中勘助 著
<補注> この小説は、インターネット上の青空文庫でも読むことができます。
・松岡正剛の千夜千冊 31夜(意表篇): 中勘助「銀の匙」
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