演歌の世界に名を刻む不朽の名曲2曲――『舟歌』と『別れの一本杉』。
この二つの楽曲を、演歌ギターの名手・斎藤功の演奏で味わえる映像がYouTubeに公開されています。
演歌の世界に名を刻む不朽の名曲2曲――『舟歌』と『別れの一本杉』。
この二つの楽曲を、演歌ギターの名手・斎藤功の演奏で味わえる映像がYouTubeに公開されています。
NHKがテレビやラジオで、長年放送している『みんなのうた』という音楽番組があります。5分間のミニ番組ですが、テレビ版ではアニメーションを中心とした短編映像が添えられ、子どもだけでなく大人の心にも響く数々の歌が紹介されてきました。今回は、その中から二つの名曲をご紹介します。
『北国の春』──そのタイトルを耳にするだけで、雪解けの匂いとともに、懐かしい昭和の情景が胸に蘇ってきます。千昌夫がこの歌を世に送り出したのは、昭和52(1977)年2月のことでした。
(注)小林啓子の歌は、リンク先の下の方にあります。
美しいメロディに包まれたこの曲が、“知の巨人”として知られる松岡正剛による作詞・作曲であると知り驚きました。意外にも、彼が若き日の失恋の経験をもとに書き下ろした作品とのことです。
京都を舞台にした歌には、どこか心の奥をくすぐるような、静かな余韻が残るものが多い気がします。今回ご紹介したいのは、そんな京都の風情を音楽で表現した2曲——渚ゆう子の「京都の恋」と、フォークデュオ・タンポポによる「嵯峨野さやさや」です。
『誰故草(たれゆえそう)』という名前の植物をご存じでしょうか。この可憐な花は、現在では絶滅危惧種に指定され、自然の中ではめったに見かけることができません。人里離れた山奥の小道の果て――そんな静かな場所に、そっと咲いていることが多いのだそうです。「誰のために、こんなにも可憐な花を咲かせているのか」そんな風情ある想いが込められて、この風流な名がつけられたと言われています。
「流れるようなメロディ」という言葉がありますが、この歌ほどその表現がしっくりくる曲も珍しいかもしれません。しっとりとした旋律に心が揺さぶられます。インストゥルメンタル(器楽)で聴くことで、一層その味わいが深まるのは、二木楽団による見事な演奏力のおかげでしょう。リズムに乗った細やかな音程の上げ下げが耳に心地よく、感傷的なメロディが哀愁をたたえて心に染み入ります。
■面影橋
面影橋は、高田馬場のほど近くにある、ごく普通の小さな橋です。見た目に特別な趣があるわけではありませんが、その名前にはどこかロマンが漂い、耳にするたびに胸の奥がほんのりと温かくなります。
1970年代、若者の旅といえばユースホステル(以下YH)でした。
今のように情報も交通も便利ではなかったからこそ、人と人との繋がりが旅の大きな楽しみの一つだったように思います。北海道・知床の奥地にある「岩尾別(いわおべつ)」も、当時旅する若者たちにとっては、特別な場所でした。
並木路(なみきみち)は、全国いたる所で見かけますが、この言葉からは、次のような有名な並木道を思い浮かべる人が多いかもしれません。
・東京明治神宮外苑や大阪御堂筋のイチョウ並木
・京都嵯峨野の竹林の道
この歌は、フォーク・ブームの晩期にあたる昭和50年(1975年)に発表されたそうですが、当時の私はこの曲を知りませんでした。京都・洛北に位置する大原の、三千院から寂光院へと続く細い田舎道が主題となっており、大原の山里がもつ静けさやひっそりとした雰囲気が、歌全体に美しく漂っています。フォークソングでありながら、どこか抒情歌にも似た情感をたたえた、実に味わい深い一曲です。
伊豆大島の南東に位置する「波浮(はぶ)の港」。表題曲は、この小さな港を舞台にした歌で、昭和3年に発表され、以来長く人々の心に残り続けてきました。出船(でふね)の時は泣いて別れを惜しむ、島の娘の素朴で切ない心情と、当時の島の暮らしぶりが、詩情豊かに描かれています。
『月の沙漠』は、誰もが子どもの頃に一度は耳にしたことのある童謡だと思います。しかし不思議なことに、大人になって改めて聴いてみると、そこには言いようのない寂しさや幻想が漂っていることに気づかされます。
昭和61年(1986年)にリリースされた、石原裕次郎の晩年(と言っても未だ50代前半でしたが)を彩る一曲です。同じ時期に大ヒットした『北の旅人』に比べると、この『想い出はアカシア』は、やや知名度が低いかもしれません。
昭和30年代に発表された『あゝ新撰組』という歌謡曲をご存じでしょうか。今回は この曲の魅力と、それにまつわる歴史への想いを、少し綴ってみたいと思います。 この曲は心を揺さぶるような力強い旋律が特徴です。現在でも、街宣車などから流されることがあり、それだけ耳に残るインパクトのある歌なのでしょう。
昭和10年(1935)に制作された同名の映画主題歌だそうです。軽やかで耳に心地よいメロディ、特に間奏の素晴らしさには感銘を受けています。原作になった小説の内容や、映画化されたストーリーについては全く知らないのですが、歌詞から推察すると、この歌の舞台になっているのは北海道の釧路近辺のように思えます。
“りんどう”は漢字にすると「竜胆」となり、少し恐ろし気なイメージになってしまいますが、古来から薬草としても利用されてきた山野に自生する多年生植物だそうです。かっては秋の到来を感じさせる山野草の代表格の一つだったようですが、近年ではあまり目にすることが無くなっています。
前曲『誰か夢なき』の歌詞では、彼(か)の君へ憧れの感情を持ち夢見ている状態、が描かれていたのに対し、表題曲『夢去りぬ』の歌詞には、「この青春の夢も さめて散る花びら」、「過ぎし夢は はかなく消えて悲し」という一節があります。この部分の歌詞から察すると、この曲では「夢見ていたことが叶ったけれど、幸せな状態は長く続かず破局に至り、去ってしまった夢を追想している」という情景を描いているようです。