音楽には、人と同じように、曲ごとに固有の「ポテンシャル(潜在力、可能性)」があります。長いあいだ注目されなかった楽曲が、編曲や演奏スタイルの変化によって、まったく新たな魅力を放つこともあります。
音楽には、人と同じように、曲ごとに固有の「ポテンシャル(潜在力、可能性)」があります。長いあいだ注目されなかった楽曲が、編曲や演奏スタイルの変化によって、まったく新たな魅力を放つこともあります。
この『黒い傷あとのブルース』は、日本では1961年ごろにヒットした一曲ですが、その原曲は『Broken Promises』というアメリカの楽曲です。
作曲者はジョン・シャハテルという無名の作曲家。アメリカ本国ではほとんど知られていないこの曲が、日本でのみ評価されたのは、おそらく当時の日本人の心情に合ったからでしょう。
昭和36年(1961年)、仲宗根美樹さんの歌唱によって大ヒットした『川は流れる』。哀愁を帯びた旋律と、人生の儚さ(はかなさ)を静かに語るような歌詞は、多くの人々の心に深く残りました。
今回は、この歌詞に込められた情感や、その背景にある都市の風景とその成り立ち、さらに『方丈記』に通じる無常観までを辿りながら、昭和という時代とこの名曲との繋がりを見つめ直してみたいと思います。
自宅付近の、ちょっとした商店街の軒下に、ツバメが巣を作っていました。その巣の中には子ツバメが5羽います。親ツバメが定期的に戻ってきて餌を与えているのですが(動画参照)、観察していると、どうも特定の子ツバメばかりが餌をもらっているように見え、少し気になりました。
『さざん花の歌』は、田村しげる・寺尾智沙夫妻による、詩情豊かな名曲の一つです。とりわけ、寺尾智沙さんによる歌詞は、深い味わいを秘めています。リンク先のコメント欄では、この歌への想いを寄せる声が数多く見受けられますが、不思議とこの歌詞の意味について言及している方はおられません。
音楽、特に「流行歌」と呼ばれる大衆向け歌謡を聴くと、その歌が生まれた時代の空気や、人々の心のありようが感じ取れることがあります。歌詞の中には、当時の暮らしぶりや流行、そして人々が何に憧れていたのかといった「時代の記憶」が息づいているのです。
昭和初期の尋常小学校で歌われていた唱歌『田舎の冬』は、美しく懐かしい歌詞と、心に沁みるメロディを持つ一曲です。しかし、その歌詞をあらためて読んでみると、今の私たち、特に都会に暮らす現代人にとっては、意味がすぐには分からない言葉も少なくありません。私自身も、上記リンク先の解説を読んで、ようやく理解できた箇所がいくつもありました。
リンク先の<<蛇足>>解説では、管理人の方が「あざみの歌」や「山のけむり」に比べて、この「サビタの花」があまり歌われなくなったのが残念だと書かれています。私もこの曲は、日本の抒情歌の中でも特に美しい一曲だと思っていますが、確かに知る人は少なくなっているように感じます。
「さだまさし」の多くの歌の中で、私が一曲だけ選ぶとすれば、迷わず『無縁坂』を挙げます。この坂の名前に似合った、もの寂しい物語と、それに相応しい静かで胸に響くメロディが相まって、強く印象に残ります。
特に「忍ぶ不忍(しのばず)無縁坂~」から始まる最終節の、いわゆるサビ部分は、前段での不協和音効果もあり感動的なフィナーレになっていて、心が揺さぶられます。
数年前の秋、兵庫県南部の白砂青松「須磨の浦」に近い、須磨寺を訪れたことがあります。須磨寺は、表題曲主役である平敦盛が愛用したと伝えられる『青葉の笛』が現存しているお寺です。須磨海岸の直ぐ傍を走るJR須磨駅で下車し、駅裏の静かな秋の砂浜海岸をしばし散策した後、徒歩で須磨寺へ向かいました。
流行歌の多くは男女の恋愛を主題としていますが、この歌のように歴史的遺跡に想いを寄せた歌は希少です。有名な『荒城の月』のオマージュとも言われていますが、「松風さわぐ丘の上・・・」で始まる歌詞は流行歌とは思えぬほど格調高く、優しく哀調を帯びた旋律も心に響きます。
昭和中期のアクション映画では、映画と同時にその主題歌が作られるか、ヒットした映画に合わせた歌を後から作っていました。しかし、この歌に関しては逆のパターンで、ヒットしたこの歌を下敷きにして、後から同名の映画が制作されたようです。
戦前の少年向け雑誌『少年倶楽部』には、「怪人二十面相」という冒険小説が連載されていました。その小説では小林少年を中心に、子供達だけで構成された探偵団が、名探偵明智小五郎を手助けして、怪人二十面相をやっつけるというストーリーが展開されていました。
この『うるわしの虹』という歌は、今ではほとんど耳にする機会がありません。古い歌が好きな人達にさえ、あまり知られていない曲ですが、哀愁を帯び、心の奥に深く染みわたる名曲だと思います。淡く切ない旋律にのせて、消えゆく夢や淡い恋心を静かに歌い上げています。昭和の空気を感じさせる、控えめで優しい旋律が印象的です。
表題曲はかって、春の選抜高校野球の大会歌として演奏されていた楽曲です。第11回大会(昭和9年)~第64回大会(平成4年)にかけて使われていましたが、今は別の曲(谷村新司作曲の歌『今ありて』)に変わっています。
『アルビノーニのアダージョ』という曲名を聞いても、知らない曲だと思う人がほとんどでしょう。けれど、このメロディに耳を傾ければ、きっと誰もが「どこかで聴いたことがある」と感じると思います。
昭和の名優・鶴田浩二が歌う『流浪の旅』。その歌声に耳を傾けると、ただ一人の旅人ではなく、時代に翻弄された数多くの人生が浮かび上がってくるようです。今回の記事では、この歌を入り口に鶴田自身の半生や戦争との関わり、そしてNHKドキュメンタリー番組の内容までを辿りながら、過去と現代を繋ぐ考察をしてみたいと思います。
昭和26年(1951年)に発表された歌謡曲『白いランプの灯る道』。奈良光枝さんのしっとりとした歌声にのせて、霧降る夜道を肩寄せて歩く二人の情景が描かれたこの歌には、当時の人々の心に寄り添う温もりが込められています。
今回ご紹介する2曲は、「チャペル」というキーワードで結ばれた、愛と人生への応援歌です。“チャペル(礼拝堂)”は、一般的な日本人にとって、非日常的な存在でありながら、西洋への憧れ感が強かった昭和中期の若者にとって、象徴的な場所でした。
『百万本のバラ』は、世界中で知られる美しい楽曲です。その歌詞に描かれているのは「貧しい画家の切ない恋」の逸話ですが、日本では、このエピソードを基にした訳詞が10種類以上存在し、20人を超える歌手がレコーディングしていることからも、この楽曲の印象深さと芸術的な評価の高さが、うかがえます。
詩情あふれる歌詞と哀愁漂うメロディからは、青春のほろ苦い哀しみが、そっと滲み出てきます。石原裕次郎が歌ったこの楽曲は、同じ作曲者・上原賢六による『夕陽の丘』と並び、戦後ムード歌謡の代表作とも言えるでしょう。前奏・間奏も印象的で、メロディの美しさが際立っています。
昭和51年(1976年)にリリースされた『夕焼け雲』。当時は、地方から大都会へと夢を抱いて旅立った若者たちの、郷愁を描いた楽曲が数多く生まれていました。この曲も、そうした時代の空気を背景に生まれた一曲です。