【夕暮れの田舎道を走るバスの車掌の襟ぼくろに、別れた恋人の面影を見い出す】、また【恋人の故郷(ふるさと)を探して海辺の町をさまよう】。
昭和38年に生まれた2つの歌謡曲は、どちらも「忘れえぬ面影を探し求める旅人」を描き、当時の日本人の心に深い哀愁を刻みました。
古き良き歌を紹介し、その歌にまつわる徒然(つれづれ)の散文を綴っています。
【夕暮れの田舎道を走るバスの車掌の襟ぼくろに、別れた恋人の面影を見い出す】、また【恋人の故郷(ふるさと)を探して海辺の町をさまよう】。
昭和38年に生まれた2つの歌謡曲は、どちらも「忘れえぬ面影を探し求める旅人」を描き、当時の日本人の心に深い哀愁を刻みました。
「生命とは何か」。誰でも一度は、この根源的な問題について、考えた事があるのではないでしょうか。近年、分子レベルでの研究が進展し、生命の本質に迫ろうとする試みが加速していますが、その一方で、私たちの身近な小さな生命もまた、大きな問いを投げかけてきます。
ここでは、最新の知見や学説を参照しつつ、生命というものについて感じた事を、自分なりに綴ってみます。
平成19年(2007年)にリリースされた『信濃恋歌』。私は最近までこの曲を知りませんでしたが、美しい歌詞と旋律を兼ね備えた、心に染み入る抒情歌です。その雰囲気は、戦後復興期に放送されていたラジオ歌謡のようで、どこか懐かしさを感じます。
夏の夜、持つ手の先で小さく燃え尽きていく線香花火。その儚さ(はかなさ)と美しさを、歌に重ねて描いたのが、さだまさしの『線香花火』です。
ここでは、この歌の魅力と、タイトルにもなっている線香花火そのものについて、少し掘り下げてみたいと思います。
「歌は時代を映す鏡」と言われますが、この『おんな船頭唄』は正にその典型のような一曲です。この歌で描かれている場面には、現代の感覚では分かりにくい表現がたくさんありますが、一方で、当時の暮らしや感情を生き生きと伝えてくれる、貴重な作品になっているとも言えます。
この曲を初めて聴いたとき、その旋律の美しさと、どこか哀しみを帯びた響きが強く心に残りました。タイトルに掲げられた「穂高」は北アルプスを代表する名峰です。しかし、この歌には、山の歌としての顔だけでなく、戦中の軍歌を原曲に持つという、意外な歴史が隠されています。
大ヒット曲『昴(すばる)』や『いい日旅立ち』の創作で知られる谷村新司。その作品の中には、知名度は低くても、静かな魅力を放つ曲がたくさんあります。その一つが1998年に発表された『この空の下』という楽曲です。
誰もが一度は、大空を鳥のように自由に飛び回ることを、夢見たことがあるのではないでしょうか。ただ現実には、人間には翼がなく、自らの力で空を飛ぶことはできません。有史以来、私たちは空への憧れを捨てきれずに、ただ見上げ続けてきました。
7月末に大阪・関西万博へ行ってきました。今回は2回目になります。地元なので当然なのかもしれませんが、私の周囲では、7月時点で複数回行っている人が多く、中には既に5回以上行った人もいました。予想以上の盛況ぶりのようです。
音楽には、人と同じように、曲ごとに固有の「ポテンシャル(潜在力、可能性)」があります。長いあいだ注目されなかった楽曲が、編曲や演奏スタイルの変化によって、まったく新たな魅力を放つこともあります。
この『黒い傷あとのブルース』は、日本では1961年ごろにヒットした一曲ですが、その原曲は『Broken Promises』というアメリカの楽曲です。
作曲者はジョン・シャハテルという無名の作曲家。アメリカ本国ではほとんど知られていないこの曲が、日本でのみ評価されたのは、おそらく当時の日本人の心情に合ったからでしょう。
昭和36年(1961年)、仲宗根美樹さんの歌唱によって大ヒットした『川は流れる』。哀愁を帯びた旋律と、人生の儚さ(はかなさ)を静かに語るような歌詞は、多くの人々の心に深く残りました。
今回は、この歌詞に込められた情感や、その背景にある都市の風景とその成り立ち、さらに『方丈記』に通じる無常観までを辿りながら、昭和という時代とこの名曲との繋がりを見つめ直してみたいと思います。
自宅付近の、ちょっとした商店街の軒下に、ツバメが巣を作っていました。その巣の中には子ツバメが5羽います。親ツバメが定期的に戻ってきて餌を与えているのですが(動画参照)、観察していると、どうも特定の子ツバメばかりが餌をもらっているように見え、少し気になりました。
『さざん花の歌』は、田村しげる・寺尾智沙夫妻による、詩情豊かな名曲の一つです。とりわけ、寺尾智沙さんによる歌詞は、深い味わいを秘めています。リンク先のコメント欄では、この歌への想いを寄せる声が数多く見受けられますが、不思議とこの歌詞の意味について言及している方はおられません。
音楽、特に「流行歌」と呼ばれる大衆向け歌謡を聴くと、その歌が生まれた時代の空気や、人々の心のありようが感じ取れることがあります。歌詞の中には、当時の暮らしぶりや流行、そして人々が何に憧れていたのかといった「時代の記憶」が息づいているのです。
昭和初期の尋常小学校で歌われていた唱歌『田舎の冬』は、美しく懐かしい歌詞と、心に沁みるメロディを持つ一曲です。しかし、その歌詞をあらためて読んでみると、今の私たち、特に都会に暮らす現代人にとっては、意味がすぐには分からない言葉も少なくありません。私自身も、上記リンク先の解説を読んで、ようやく理解できた箇所がいくつもありました。
リンク先の<<蛇足>>解説では、管理人の方が「あざみの歌」や「山のけむり」に比べて、この「サビタの花」があまり歌われなくなったのが残念だと書かれています。私もこの曲は、日本の抒情歌の中でも特に美しい一曲だと思っていますが、確かに知る人は少なくなっているように感じます。
「さだまさし」の多くの歌の中で、私が一曲だけ選ぶとすれば、迷わず『無縁坂』を挙げます。この坂の名前に似合った、もの寂しい物語と、それに相応しい静かで胸に響くメロディが相まって、強く印象に残ります。
特に「忍ぶ不忍(しのばず)無縁坂~」から始まる最終節の、いわゆるサビ部分は、前段での不協和音効果もあり感動的なフィナーレになっていて、心が揺さぶられます。
数年前の秋、兵庫県南部の白砂青松「須磨の浦」に近い、須磨寺を訪れたことがあります。須磨寺は、表題曲主役である平敦盛が愛用したと伝えられる『青葉の笛』が現存しているお寺です。須磨海岸の直ぐ傍を走るJR須磨駅で下車し、駅裏の静かな秋の砂浜海岸をしばし散策した後、徒歩で須磨寺へ向かいました。
流行歌の多くは男女の恋愛を主題としていますが、この歌のように歴史的遺跡に想いを寄せた歌は希少です。有名な『荒城の月』のオマージュとも言われていますが、「松風さわぐ丘の上・・・」で始まる歌詞は流行歌とは思えぬほど格調高く、優しく哀調を帯びた旋律も心に響きます。
昭和中期のアクション映画では、映画と同時にその主題歌が作られるか、ヒットした映画に合わせた歌を後から作っていました。しかし、この歌に関しては逆のパターンで、ヒットしたこの歌を下敷きにして、後から同名の映画が制作されたようです。
戦前の少年向け雑誌『少年倶楽部』には、「怪人二十面相」という冒険小説が連載されていました。その小説では小林少年を中心に、子供達だけで構成された探偵団が、名探偵明智小五郎を手助けして、怪人二十面相をやっつけるというストーリーが展開されていました。
この『うるわしの虹』という歌は、今ではほとんど耳にする機会がありません。古い歌が好きな人達にさえ、あまり知られていない曲ですが、哀愁を帯び、心の奥に深く染みわたる名曲だと思います。淡く切ない旋律にのせて、消えゆく夢や淡い恋心を静かに歌い上げています。昭和の空気を感じさせる、控えめで優しい旋律が印象的です。
表題曲はかって、春の選抜高校野球の大会歌として演奏されていた楽曲です。第11回大会(昭和9年)~第64回大会(平成4年)にかけて使われていましたが、今は別の曲(谷村新司作曲の歌『今ありて』)に変わっています。
『アルビノーニのアダージョ』という曲名を聞いても、知らない曲だと思う人がほとんどでしょう。けれど、このメロディに耳を傾ければ、きっと誰もが「どこかで聴いたことがある」と感じると思います。
昭和の名優・鶴田浩二が歌う『流浪の旅』。その歌声に耳を傾けると、ただ一人の旅人ではなく、時代に翻弄された数多くの人生が浮かび上がってくるようです。今回の記事では、この歌を入り口に鶴田自身の半生や戦争との関わり、そしてNHKドキュメンタリー番組の内容までを辿りながら、過去と現代を繋ぐ考察をしてみたいと思います。
昭和26年(1951年)に発表された歌謡曲『白いランプの灯る道』。奈良光枝さんのしっとりとした歌声にのせて、霧降る夜道を肩寄せて歩く二人の情景が描かれたこの歌には、当時の人々の心に寄り添う温もりが込められています。
今回ご紹介する2曲は、「チャペル」というキーワードで結ばれた、愛と人生への応援歌です。“チャペル(礼拝堂)”は、一般的な日本人にとって、非日常的な存在でありながら、西洋への憧れ感が強かった昭和中期の若者にとって、象徴的な場所でした。
『百万本のバラ』は、世界中で知られる美しい楽曲です。その歌詞に描かれているのは「貧しい画家の切ない恋」の逸話ですが、日本では、このエピソードを基にした訳詞が10種類以上存在し、20人を超える歌手がレコーディングしていることからも、この楽曲の印象深さと芸術的な評価の高さが、うかがえます。
詩情あふれる歌詞と哀愁漂うメロディからは、青春のほろ苦い哀しみが、そっと滲み出てきます。石原裕次郎が歌ったこの楽曲は、同じ作曲者・上原賢六による『夕陽の丘』と並び、戦後ムード歌謡の代表作とも言えるでしょう。前奏・間奏も印象的で、メロディの美しさが際立っています。
昭和51年(1976年)にリリースされた『夕焼け雲』。当時は、地方から大都会へと夢を抱いて旅立った若者たちの、郷愁を描いた楽曲が数多く生まれていました。この曲も、そうした時代の空気を背景に生まれた一曲です。
ドイツで古くから伝わる有名な民謡『昨夜見た夢』は、日本では1971年、TBSのテレビドラマ「木下恵介・人間の歌シリーズ『冬の雲』」の主題歌に採用され、広く知られるようになりました。その静かな旋律と切ない歌詞は、今なお多くの人の心に深く残っています。
『風の盆恋歌』は、越中八尾(やつお)で三百年の歴史を誇る伝統行事「おわら風の盆」を背景にした楽曲です。石川さゆりの歌唱により、多くの人の心を捉え、ヒットしました。
昭和27年(1952年)にNHKラジオ歌謡として発表された『山のけむり』は、八洲秀章作曲による名曲のひとつです。ゆったりとした旋律には心を癒す力があり、今も多くの人の心をつかんでいます。
この曲を初めて聴いたとき、言い表せないほどの安らぎと静けさが、心の中に広がりました。シンプルな旋律でありながら、どこか"人の魂"に語りかけるようなこの曲が、いつしか世界中で愛される存在になっていったことに、深い納得を覚えます。
春の訪れを感じると、ふと心の中に浮かんでくる歌があります。昔、何気なく耳にしていたそのメロディが、春風に乗りそっと蘇ってくるようです。
今回は、そんな「春」をテーマにした、子ども向けの美しい歌を、二曲ご紹介したいと思います。どちらも外国にルーツを持つ短い歌ですが、シンプルで印象的なメロディが心に残る名曲です。
軽快でリズミカルながら、どこか懐かしく、哀愁がにじむ、・・・ そんな曲調が印象的な『サーカスの唄』は、戦前を代表する日本歌謡の名曲の一つです。この歌は、昭和8年(1933年)に来日した、ドイツのハーゲンベック・サーカスの宣伝のために制作された、と言われています。
“青春時代”をテーマにした歌は、数えきれないほどありますが、底抜けに明るく、力強い“青春讃歌”と呼べるような楽曲は、案外少ないように思います。そうした中で、今回ご紹介する2曲は、未来への夢と希望を感じさせ、聴く人に力と勇気を与えてくれる、貴重な青春歌謡です。
作家の五木寛之がある時、美空ひばりとの対談の中で、「私の歌の中でどれが一番お好きですか」と尋ねられたことがあったそうです。五木が迷わず『津軽のふるさと』と答えると、美空は少し意外そうな顔をして「ああ、そうですか」と返したとのこと。
月明かりに照らされた春の宵、夜桜がはらはらと舞う中、人力車に揺られて嫁ぎ行く花嫁。その後ろ姿を、幼い妹がただ黙って見送っている——。『花かげ』は、そんな夢のような別れの情景を、どこか哀しみを帯びたメロディにのせて描いた名曲です。
日本の童謡の中で、この『月見草の花』と『花かげ』は、素晴らしい名曲であるにも関わらず、あまり知られていないのが不思議です。若い世代にとっては無理もないことかもしれませんが、還暦を過ぎたような方の中でも、ご存じの方はあまり多くないように思われます。
焼け跡世代――すなわち、幼少期から少年期を太平洋戦争のさなかに過ごした人たちにとって、「一番心に残っている歌は?」と尋ねられたとき、『哀愁列車』と答える方が少なくありません。この歌を耳にすると、思わず涙をこぼすという話もよく聞きます。
『わすれ雪』という言葉をこれ迄あまり耳にしたことがなかったので、この歌を作った“手仕事屋きち兵衛さん”による造語かと思っていました。
しかし調べてみると、「わすれ雪」は広辞苑にも記載されており、春の季語としても使われる正式な言葉だと分かりました。
戦後の復興期に、NHKラジオで放送されていた「ラジオ歌謡」の中には、聴く人の心に深く沁みる名曲が数多く存在します。中でも、「隠れた名曲」という言葉が、まさにぴったり当てはまるのが、この《少年の秋》という歌です。
『智恵子抄』というのは、詩人・高村光太郎が、妻・智恵子との30年にわたる軌跡を詩に綴った作品集の名前です。リンク先で紹介している楽曲は、この詩集の主人公である高村智恵子(旧姓・長沼チエ)をテーマにした歌で、昭和39年(1964)に、二代目コロムビア・ローズ(ローズⅡ)の歌唱によって大ヒットしました。
1970年代後半から、現在に至るまで活躍を続けている、原大輔という歌手がおられます。フォーク・ニューミュージック・シャンソン・カンツォーネ・クラシック・歌謡曲・演歌・童謡・アニメソングまで、実に幅広いジャンルを自在に歌いこなす方です。
演歌の世界に名を刻む不朽の名曲2曲――『舟歌』と『別れの一本杉』。
この二つの楽曲を、演歌ギターの名手・斎藤功の演奏で味わえる映像がYouTubeに公開されています。
NHKがテレビやラジオで、長年放送している『みんなのうた』という音楽番組があります。5分間のミニ番組ですが、テレビ版ではアニメーションを中心とした短編映像が添えられ、子どもだけでなく大人の心にも響く数々の歌が紹介されてきました。今回は、その中から二つの名曲をご紹介します。
『北国の春』──そのタイトルを耳にするだけで、雪解けの匂いとともに、懐かしい昭和の情景が胸に蘇ってきます。千昌夫がこの歌を世に送り出したのは、昭和52(1977)年2月のことでした。
(注)小林啓子の歌は、リンク先の下の方にあります。
美しいメロディに包まれたこの曲が、“知の巨人”として知られる松岡正剛による作詞・作曲であると知り驚きました。意外にも、彼が若き日の失恋の経験をもとに書き下ろした作品とのことです。
京都を舞台にした歌には、どこか心の奥をくすぐるような、静かな余韻が残るものが多い気がします。今回ご紹介したいのは、そんな京都の風情を音楽で表現した2曲——渚ゆう子の「京都の恋」と、フォークデュオ・タンポポによる「嵯峨野さやさや」です。
『誰故草(たれゆえそう)』という名前の植物をご存じでしょうか。この可憐な花は、現在では絶滅危惧種に指定され、自然の中ではめったに見かけることができません。人里離れた山奥の小道の果て――そんな静かな場所に、そっと咲いていることが多いのだそうです。「誰のために、こんなにも可憐な花を咲かせているのか」そんな風情ある想いが込められて、この風流な名がつけられたと言われています。
「流れるようなメロディ」という言葉がありますが、この歌ほどその表現がしっくりくる曲も珍しいかもしれません。しっとりとした旋律に心が揺さぶられます。インストゥルメンタル(器楽)で聴くことで、一層その味わいが深まるのは、二木楽団による見事な演奏力のおかげでしょう。リズムに乗った細やかな音程の上げ下げが耳に心地よく、感傷的なメロディが哀愁をたたえて心に染み入ります。
■面影橋
面影橋は、高田馬場のほど近くにある、ごく普通の小さな橋です。見た目に特別な趣があるわけではありませんが、その名前にはどこかロマンが漂い、耳にするたびに胸の奥がほんのりと温かくなります。
1970年代、若者の旅といえばユースホステル(以下YH)でした。
今のように情報も交通も便利ではなかったからこそ、人と人との繋がりが旅の大きな楽しみの一つだったように思います。北海道・知床の奥地にある「岩尾別(いわおべつ)」も、当時旅する若者たちにとっては、特別な場所でした。
並木路(なみきみち)は、全国いたる所で見かけますが、この言葉からは、次のような有名な並木道を思い浮かべる人が多いかもしれません。
・東京明治神宮外苑や大阪御堂筋のイチョウ並木
・京都嵯峨野の竹林の道
この歌は、フォーク・ブームの晩期にあたる昭和50年(1975年)に発表されたそうですが、当時の私はこの曲を知りませんでした。京都・洛北に位置する大原の、三千院から寂光院へと続く細い田舎道が主題となっており、大原の山里がもつ静けさやひっそりとした雰囲気が、歌全体に美しく漂っています。フォークソングでありながら、どこか抒情歌にも似た情感をたたえた、実に味わい深い一曲です。
伊豆大島の南東に位置する「波浮(はぶ)の港」。表題曲は、この小さな港を舞台にした歌で、昭和3年に発表され、以来長く人々の心に残り続けてきました。出船(でふね)の時は泣いて別れを惜しむ、島の娘の素朴で切ない心情と、当時の島の暮らしぶりが、詩情豊かに描かれています。
『月の沙漠』は、誰もが子どもの頃に一度は耳にしたことのある童謡だと思います。しかし不思議なことに、大人になって改めて聴いてみると、そこには言いようのない寂しさや幻想が漂っていることに気づかされます。
昭和61年(1986年)にリリースされた、石原裕次郎の晩年(と言っても未だ50代前半でしたが)を彩る一曲です。同じ時期に大ヒットした『北の旅人』に比べると、この『想い出はアカシア』は、やや知名度が低いかもしれません。
昭和30年代に発表された『あゝ新撰組』という歌謡曲をご存じでしょうか。今回は この曲の魅力と、それにまつわる歴史への想いを、少し綴ってみたいと思います。 この曲は心を揺さぶるような力強い旋律が特徴です。現在でも、街宣車などから流されることがあり、それだけ耳に残るインパクトのある歌なのでしょう。
昭和10年(1935)に制作された同名の映画主題歌だそうです。軽やかで耳に心地よいメロディ、特に間奏の素晴らしさには感銘を受けています。原作になった小説の内容や、映画化されたストーリーについては全く知らないのですが、歌詞から推察すると、この歌の舞台になっているのは北海道の釧路近辺のように思えます。
“りんどう”は漢字にすると「竜胆」となり、少し恐ろし気なイメージになってしまいますが、古来から薬草としても利用されてきた山野に自生する多年生植物だそうです。かっては秋の到来を感じさせる山野草の代表格の一つだったようですが、近年ではあまり目にすることが無くなっています。
前曲『誰か夢なき』の歌詞では、彼(か)の君へ憧れの感情を持ち夢見ている状態、が描かれていたのに対し、表題曲『夢去りぬ』の歌詞には、「この青春の夢も さめて散る花びら」、「過ぎし夢は はかなく消えて悲し」という一節があります。この部分の歌詞から察すると、この曲では「夢見ていたことが叶ったけれど、幸せな状態は長く続かず破局に至り、去ってしまった夢を追想している」という情景を描いているようです。
表題曲は、昭和後期に子供向けテレビアニメとして人気があり、長年にわたり放映されていた『まんが日本昔ばなし』の主題歌でした。番組の放送枠は30分で、毎回日本各地に伝わる昔話が映像化され、市原悦子と常田富士男の両名が、一人で何役もの声を使い分ける独特の語りが印象的でした。